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マイナースポーツ「パデル」の歴史 〜1970年代〜

カバー画像はPadel Addictより引用

パデルという壁に囲まれたテニスのようなスポーツは、マイナースポーツといいつつスペインではサッカーに次ぐ競技人口を誇ります。

海外ではマイナーだけど一部で人気が高い、野球のようなスポーツではないでしょうか。

スペインで広まった歴史を学ぶことで、国内のマイナースポーツの拡大に応用できるかも。

ということで、2,3回に渡って、マイナースポーツ「パデル」の歴史を調べて紹介していきます。

パデルのはじまり

元々の発祥はどうやら1969年のメキシコのようです。

Enrique Corcuera(エンリケ・コルクエラ)という方が、テニスコートに植物が侵入しないように前後左右を壁で囲ったのが始まり。

このときはまだパデルではなく、パデルコルクエラと呼ばれていたそうです。

スペインで「パデル」が広まったのは、1974年にコルクエラの招待でパデルコルクエラをプレーしたAlfonso de Hohenlohe(アルフォンソ・デ・ホーエンローエ)王子がルールとコートを少し変えスペインのマルべーリャに持ち帰ったことがはじまりです。

急速な発展

パデルはアルゼンチンでも競技人口200万人ほどの人気スポーツですが、それはマルベーリャに度々訪れていたアルゼンチンの富豪Julio Menditengui(フリオ・メンディティンギ)がパデルにハマり、1975年にアルゼンチンに持ち帰ったことで広まります。

スペインでも、プロテニスプレイヤーの支援を受け、Manolo Santana(マノロ・サンタナ)が大使として大会の運営やルールなどのブラッシュアップに尽力し、広まっていったとされています。

まとめ

とある一人の男性の工夫から始まったパデル。

そこから富豪が競技を愛し一気に広まり、他スポーツのプロプレイヤーが大会を運営することで楽しめる環境が一気に作られたことが、パデルがスペインでトップクラスの競技人口を誇るスポーツになった勝因かもしれません。

次回は80〜90年代のパデルについて調べていきます!

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