あまりに簡単に生まれ、永く生きる言葉たちよ | 日記

Diosというバンドを結成した。その新曲の歌詞をずっと書いているのだが、なかなか進まない。書いては消してを繰り返している。これはぼくりりの頃にはなかったことなので、その変化が新鮮で面白い。

これはどこから生じた変化なのかというと、ソロからバンドになったことが一番の要因だと思われる。自分はバンドの一部だし、バンドは自分の一部でもある。だけど、バンドは自分じゃない。メンバーやスタッフで作り上げていくDiosという巨大な蠢きの、大きな部分を占めているのが自分であるというだけなのだ。とてもポジティブな意味で、自分は歯車に過ぎない。

その違和感が、ようやく身体に馴染みつつある。何曲かレコーディングを終えて、Diosというバンドの実態が、少しずつ理解できてきた。本当に面白いことに、自分たちでもDiosがなんなのか、理解できないのだ。無数にある選択肢をひとつずつ選んでいくことで彫りだされていく。どこかにある真の姿を求めるんじゃあなくて、自分たちが選ぶひとつひとつが、Diosの像を決定していく。

そういう風にしか作れない。

では、Diosというバンドは何を歌うべきか?そう思うと急に自分の言葉ひとつが大きな重みを持ってくる。キーを軽く叩いてエディタに浮かんだ言葉が、作品として永久に残ってしまう。これが足取りを重たくさせる。たった数百文字のはずが、聳え立つ塔の前に立たされているような気持ちになる。でもこの重圧は案外心地良い。それだけの熱量で自分の人生や、もっと巨大なものに向き合えるのはとても贅沢なことだ。

コンセプトさえ決まればするりと書けそうなものだが、なかなか上手くいかない。今日はここら辺で切り上げて明日の自分に丸投げしよう。

それじゃあまた、

寿司が食べてえぜ