砂浜に描いた線は、波にさらわれ消える。

こんにちは、ホテルに泊まるとなんだかそわそわして寝付けなくなるたなかです。一昨日は鎌倉の歴史ある古民家をまるまる使って同時多発的に展開する不思議な舞台(オンラインで鑑賞する)に主演で出演してました。
前日の早朝から全体リハだったので、前々日から前乗りしてすこし不思議なホテルに泊まった。

んで例のごとくうまく寝付けなかったのですが、そういう時はぐるぐるといろんなことを考えてしまうので、せっかくなので書いておこうと思い、インスタのストーリーズにあげてみた。

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これだけだと断片的でなんのこっちゃわからんだろうなあと思ったので、もう少し詳しく書いてみる。僕は、「生きていく上でここは死守してえライン」という独自の概念を人生導入しており、それが、眠るときに小林大吾とELECTROCUTICAのアルバムをゆっくりと聴ける、というものだ。
ほかのあらゆること、豪勢な食事や上等な服、高級な住まいなどのどれも無くていいから、彼らの音楽を全身で享受したい、その時間はひとりきりで、誰にも侵されないものであってほしい。ほかのなにを失っても良いから、その時間だけは絶対に誰にも譲りたくないのだ。
僕はいろんな意味ですごく恵まれてるなーと思っていて、周囲に感謝しっぱなしの日々なのですが、もっとも恵まれてるポイントは実はここなんじゃないかなあと思っている。「死守ラインが非常に低いこと」は、僕をすごく生きやすくしてくれている。
僕を支えてくれる音楽たちはiPhoneのなかに鎮座していて、僕をいつでもあたたかく迎えてくれる。
このスクショにも書いてるけど、たとえば「六本木のキャバで豪遊すること」が人生充実の必須条件だとしたら、コストがすごい高くなるし、事業に失敗したらお店に行けなくなるし、日々心のどこかで怯えながら暮らすことになってしまう。
んでこの死守ラインというのは、あんまり自分の意思では決められないというか、理屈じゃなく欲してしまってるものなので、善し悪しがあるわけでもないし、ある意味でガチャ的なところがある。そういう意味で、もう自分はそのゲームから"あがれて"しまっているので、ラッキーだなあと思う。
生きづらいひとは、もしかしたらこういうことを一度考えてみても良いのかもしれない、肩の荷がおりることもあるだろう。ここから先は、でも実は、こういう感覚がもたらす不幸もあるだろう、ということを書いていきたい。なんか恥ずかしいので、ここから先は有料にしてみたりする。気が向いたら読んでみて。

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寿司が食べてえぜ