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期待を込めて

 PDCAという言葉がきらいだ。
 失敗したり、事情があったりして中途半端に終わる物事がある。PDCAを回して継続的に改善策をとっていれば、よりよいものとなりながら続いていく。とか何とか言うんでしょ? PDCAさえ回しておけば、中途半端に終わることなんてなかったのに。とか何とか言うんでしょ。
 まあ、そんなことはどうだっていいのだけど。
 本題は、中途半端に終わった物事の方。

 本意でなく継続できずに終わってしまった物事があるとする。さて、どうする?
 たとえば、店番をしている本屋。借りている建物に別な用途が持ち上がったことがある。延期になったらしいが、もしも大家さんに「ちょっともう出ていってくれないか」と言われたら、さてどうしようか。
 私は店番にすぎない。本はある。場所がなくなった。でも本はある。どこかに置くしかない。置くんだったら、そこで本屋ができないか。幸い、私が住む家には蔵があり、そこが空いている。じゃあ、そこを本屋としてはどうだろうか。

 今、私の一週間は手一杯だ。昨日、勝手に取材しに行き、記事を書きたいむね伝えたところ了承してもらった。今日、そのイベントを主催した会社から弊社サイトに掲載しませんかと声をかけてもらった。記名記事がスタートアップ企業のサイトに載るかもしれない。
 それ以外にも取材案件がいくつか入り、怠け者にはキツイくらいの忙しさ。だから本屋はこれを機に閉じるという選択肢もあり。
 でも、やりたいのです。この先、本屋をしている自分の画が見えている。ぼんやりとだけど。
 私は店番にすぎないから、本屋店主に「私の家の蔵に場所を移動して本屋を再開したい」と伝えるだろう。だって、やりたいんだもの。

 これまで全然集客できていないから、さらに立地条件の悪い場所へ移動して売れるかどうかわからない。けれど、やりたいし、やるからには集客できるように考えたい。
 これをPDCAと呼ぶのかもしれないけれど、それはどうでもよく。とにかく、失敗というか事情があって中途半端に終わった物事だけど、やりたい気持ちがあるから「再開するにはどうしたらいいか」を考える。私なら。だって、やりたいんだもの。
 やりたいなら、やればいい。やれる方法を探せばいい。それだけ。終わったことはどうでもよくて。

「続けたかった」と言ってるだけで再開しないなら、それはそれだけのこと。本当にやりたかったことなのか?と思う。
 好きなこと、やりたいことが中途半端に終わってしまう。それはよくあること。そこから本当に好きだから、本当にやりたいから、再開の方法を探して実行するのが「好き」「やりたい」ということではないか。「終わっちゃった。悲しい」で止まっているなら、それまでのこと。いい思い出にしておけばいい。それはちっとも悪いことじゃない。
 でも「好き」「やりたい」なら、再開に向けて頭も心も時間もお金も費やす。私ならそうする。たぶん。



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