見出し画像

コロッケそばへの枯渇

若い頃、僕は関東にいた時期がある。今は神戸に定着しているが、たまに薬物経験みたいに、突然頭の中でフラッシュバックするものがある。薬物やったことないけど。

それは朝のコロッケそばだ。吐く息が白い冬の巣鴨駅。地下鉄から山手線へのエスカレーターが終わると、待ち受けるのは出汁の匂いを放つノレン。

二日酔いのふらふらした指がコロッケそばと生卵を押す。湯気の向こうでオヤジが茹で機に麺を放り込む。1分も経たずにコロッケとネギ、玉子が浮かんだ真っ黒なつゆに浮かんだアイツがやって来る。七味を振って、静かに麺をすする。いきなりコミュニティを壊してはならない。

汁がしみたコロッケをかじり、またそばに戻る。ずるずる、ふぅふぅ。すっかり駅の風景の一部になった僕。コイツはファイナルが全てだ。伸び掛けたそばに、ジャガイモやひき肉のかけら、半分火が通った玉子を、下卑た真っ黒なつゆで、一気に胃袋へ流し込む。

金額にしたら300円くらいのものだったと思うが、いまだに心をとらえて離さない。この前、新梅田食道街でカレー味のコロッケを浮かべた、名物のコロッケそばを食べたが、丹念に取られた透き通った上品な出汁。コレジャナイ感で僕の心はまた宙ぶらりんになってしまった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?