「モダン・コンピューティングの歴史」で思いだすコンピュータ自史(1)大学時代

「モダン・コンピューティングの歴史」ポ一ル・E・セルージ著を読む。

通信の歴史を追いかけていたら、やっぱりコンピュータの歴史も気になってきた。2008年の書であるが、戦後の弾道計算への軍事利用とパンチカードによる事務処理にはじまり、汎用機の成立、ミニコンからパソコンへの変遷とネットワーク化、インターネットまでが体系的に整理されている。

自分のコンピュータ史でいうと、大学の時にコンピュータ実習を履修していて、簡単なプログラムをパンチカードを長い時間かけて打ち込んでわけのわからないJCLを足して、計算センター(なんてレトロな名前)に行って洗濯機の様な機械にダーっとかけて、またわけのわからないエラーリストを眺めたのが原体験だ。ただ同じ時期にパソコンクラブがあって、たしかバブルメモリのFM8が何台かあってゲームで遊んでいた。一応入部してあまり積極的に参加はしてなかったが、文化系学部でも既にナードな同級生がいて、BASICを教えてもらったりした。FM8をカラーディスプレイの前で自分で操作していると、授業のパンチカード汎用機と同じコンピュータでも大きな差があるのに異和感が有ったのを覚えている。少したって、自分でも確か128,000円(?)と安くなったFM7を買って、アキバでカセットテープのゲームを買ったり、雑誌のプログラムを打ちこんだりして遊んでいた。

知りあいの開発会社で、データパンチのアルバイトと富士通のオフコン(FACOM Vシリーズ?)のCOBOLのコーディングをした事もあった。今思うとアルバイトというより教えてもらう事の多いインターンだったと思う。大学ではFORTRUNの本当に簡単な計算しかやらなかったが、ここでは社内システムながら実践的なプログラムを書いた。社長に銀座に飲みに連れていってもらったり、今でこそいい経験をさせてもらったと思うが、その頃はボーとした大学生だった。又、公認会計士の親戚が地方の計算センターを経営していて、夏休みにオペレーションやデータの収配(なんとガソリンスタンドを車で回ってデータカセットを集めてくる仕事)をやらせてもらった。冷房のギンギンにきいたマシン室でテープの架け替えや、ラインプリンタで打ちだした帳票の仕訳けをやった。たしかバロースのコンピュータのだったと思うが、県内でも1つしかないシステムで、働いている人も自慢と誇りをもって仕事をしていたと思う。今思うといい経験をさせてもらったのだが、当時はなんとなくコンピュータの時代が来るし、格好いいぐらいの思いだったと思う。同じ頃にサイバーパンクムーブメントがあり、SFやテクノがはやり、サブカルチャー的にもコンピュータの明るい未来とコンピュータに支配されるディストピアの予言がはじまっていた。どっちに転ぼうがコンピュータの世界になるだろうと、4年のときに第二種情報処理技術者を取った。簿記検定よりモチベーションが高かった。この時、この書にあるような、エニアックやIBMにはじまるコンピュータの発展と基礎を勉強した。まだパソコンはおもちゃ扱いで資格試験には出てこなかったと思う。最初のファミコンが発売された時期でもあり、MSXはともかくこれをコンピュータと呼んで良いのかとも思った。

この書でも、反トラスト法にで提訴されたIBMの圧倒的シェアに対してDECとその流れの中でのUNIXやパソコンの台頭が記されている。IBMもパソコンのイノベーションに慌ててIBM PCを出荷したのが1981年。NEC PC8800も同じ年である。ビルゲイツとスティーブジョブズとIBMのOSをめぐる関係も面白い。Excelが最初のAPPLE用に開発されたなんて知ってる人は少いだろう。丁度大学時代はコンピュータに破壊的イノベーションがはじまった面白い時期だった。その頃海の向うで起きてる事は、少し遅れて日本に伝わってきて、日本のメーカーやソフトベンダーも基本的にコピービジネスを展開していた。ネットはまだないので、海の向うでおきている事は雑誌が伝えてくれた。(まさかパソコン雑誌とソフト流通の会社に転じる事になるとは思わなかったが。)当時からタイムマシン経営だったのだ。まさに情報の非対象性ビジネス、都合のいい情報しか触れていなかったと本書を読んで改めて思う。時がたち冷静な目で見る事は大切だ。歴史は面白い。


文京区と日高市に2拠点居住中。