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『出会いは宝』映画プロデューサー“石塚慶生”さん

映画プロデューサーをされている石塚 慶生(いしづか よしたか)さんにお話しを伺いました。人との出会いを大切にし、数々の大ヒット映画を裏で支えている石塚さん。その背景に何があるのか、石塚さんの人生ストーリーを共有します。

プロフィール
出身地 

鳥取県米子市
活動地域
東京近郊
現在の職業及び活動経歴
映画プロデューサー
1992年に映像制作会社に入社。テレビコマーシャル、ネットムービーなどの映像作品に関わった後、2003年に松竹株式会社に入社。以後プロデューサーとして『子ぎつねヘレン』、実写版『ゲゲゲの鬼太郎』(二作)、『ひまわりと子犬の7日間』、『はじまりのみち』、『日々ロック』、『植物図鑑』、『一週間フレンズ』、『ディストラクション・ベイビーズ』、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』などを手掛ける。原田眞人監督作『わが母の記』はモントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリ、日本アカデミー賞の12部門で優秀賞を受賞。同作品で、藤本賞・奨励賞を受賞。最新作は2020年に公開される山田涼介主演の『記憶屋』

未知なる世界との出会いが楽しい!

Q.どのような夢をお持ちですか?
石塚慶生さん(以下、石塚 敬称略)
:夢といえるかどうか難しいのですが、今のペースで仕事を続けていきたいというのが夢です。目の前のことが一番面白いし、好きになっていく自分を楽しんでいます。たとえば、新しいジャンルの映画に挑戦したり、今まで仕事をしたことがない人達と仕事をしたりすることが面白いですし、彼らを好きになっていくんですよね。プロジェクトを進める上で、一筋縄ではいかないことも沢山ありますが、完成された映画を観ると、その時の気持ちが詰まっているし、ヒットして多くの人に見てもらえたら最高ですね。

Q.夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
石塚:
常に今まで仕事をしたことがない人と仕事をしてみたい、未知なる新しいジャンルに挑戦したいと考えています。新しいジャンルでは、歴史や戦争にまつわるドラマをやってみたいと思っています。戦争映画は、純粋に手がけたことがないからという理由もありますが、様々な戦争映画に触れる中で、自分だったらこう作るな!という想いが湧いてきて、挑戦したいと思うようになりました。

Q.映画プロデューサーとは、どのようなお仕事なのでしょうか?
石塚:映画は、『①企画→②開発(脚本、リサーチ)→③製作(キャスティング、撮影、編集)→④映画完成→⑤宣伝→⑥営業→⑦一次利用(映画公開)→⑧二次利用(DVD、配信、機内等)』というタイムラインがあります。映画プロデューサーは、企画から二次利用まですべてに携わります。監督、役者、スタッフなどとコミュニケーションを取りながら、最初に描いたマップにそってどうゴールまで持っていくかが、プロデューサーの仕事です。

映画『こんな夜更けにバナナかよ』は、監督から原作を読んでほしいと言われた所から始まりました。その後の開発では、脚本家というスペシャリストに依頼して、執筆していただきます。

次の製作の段階では、キャスティング(スタッフやキャストの選出)を考えます。人それぞれに得意分野・個性があるので、それを見極めてのキャスティングはとても重要な仕事です。撮影が始まると、現場は監督が主で、プロデューサーはバックアップする存在になります。映画が完成すると、宣伝や営業について担当者と意見を交換しながら、進めていきます。


Q.現在の活動指針は何ですか?
石塚:
お客さんの目線で意見していくことは、プロデューサーである自分にしかできないし、自分の役割だと思っています。かれこれ20年近く映画を作り続けてきていますが、やはりお客さんに夢や希望を与える映画、心を揺さぶる映画を作っていくという軸をぶれないようにしたいと考えています。


Q.映画プロデューサーになったきっかけは何ですか?

石塚:出身の鳥取県から上京して大学に行き、本当はテレビドラマを作りたかったのですが、テレビ局には入れず、CMを作る現場のスタッフとして10年くらい働いていました。2003年に松竹株式会社が中途のプロデューサーを募集していたので応募したことがきっかけです。お客さんにダイレクトに感動や気持ちを届けることができる映画にチャレンジしてみようと思いました。

人と関わる楽しさを学び、成長する日々

Q.映画プロデューサーになり、どのような発見や出会いがあったのですか?
石塚:もともとは社交的なタイプではなくて、オタク気質で個人作業が好きでした。ところが映画は、人と関わらないと作れません。他人の思考、他人のアイデアなどを意識して共有しようとすることで、受け取れるようになりました。人と関わる楽しさを教えてもらって、仕事に成長させてもらいました。

さらに言うと、この仕事は、業界のトップを走る天才的な監督や俳優と出会うことができます。トップで走る人達は、仕事にプライドを持ち、震えるような芝居をしたりして、与えられた役割に対しそれを上回るほどの結果を出しています。実力がありながら努力もする、ものすごくカッコいい人たちです。そうした仕事ぶりに圧倒されつつ、次第に自分もそんな風に後輩たちに背中を見せていければと思うようになりました。

映画づくりの原動力の背景とは・・・

Q.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?
石塚:
小さい頃にマンガとかアニメを通して、未知なる世界に触れたワクワク感が原動力にあります。宇宙に行く話が出てきて、単純に面白いな!と思ったり、学校で世界のことを教えてもらったりして、世の中は広くて楽しいのだと思いました。自分の外の世界に出会うことの素晴らしさを教えてもらいました。ガンダムのプラモデルを作ることが単純に楽しかったこと、ロックやパンクやプログレなど様々なジャンルの音楽を聴いているだけで衝撃を受けた感覚を今でも鮮明に覚えています。

子どもの時に体験した未知なる刺激的なものに出会うワクワク感や、なにかを作る楽しさ、音楽から受けた感動が、今も変わらず続いているんだと思います。そして、自分がそうやって色んなエンターテイメントから夢や希望、感動をもらったので、いまこの世界にはない映像を創ってみたいと思うようになりました。


Q.最後に読者の方にメッセージをお願いします。

石塚“出会いは宝”です。出会いは、自分を成長させてくれる糧にもなります。僕の場合は、映画づくりを通じて、未知なる出会いから成長させてもらいました。あと、色んな映画を見てほしいです。映画は、「共有体験」だと思います。同じ映画を観ても、人それぞれ意見や感覚は違います。その差異に気付くことで、また新しい相手との出会いのきっかけにできるのではないでしょうか。

記者:石塚さん、今日は本当にありがとうございました。
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石塚慶生さんについての詳細情報についてはこちら
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した田中、池田、黒田(カメラ)です。
映画に出演する人たち、映画作品、映画を観に行く人など、あらゆる“出会い”を大切になさっている在り方が伝わってきました。様々な出会いを提供してくれる出会いのプロであり、そこから吸収していこうとする姿勢も素晴らしいと思いました。今後も、石塚さんのご活躍から目が離せませんし、応援していきたいです。石塚さん、ありがとうございました!

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36