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『最高のパフォーマンスをしたい』スラックライン第一人者 “我妻吉信”さん

日本におけるスラックラインの第一人者 我妻吉信さんにお話を伺いました。“スラックライン”とは、ベルト状のラインの上を歩いたり、飛んだり跳ねたりするスポーツです。ドイツ発祥のスラックラインの面白さにいち早く気づき、自らプレーヤーとなって最高のパフォーマンスをしようと挑戦し続けている我妻さん。挑戦し続ける背景には何があるのか、我妻さんの人生ストーリーを共有します。

プロフィール
出身地

東京都新宿区
活動地域
東京近郊
現在の職業及び活動
日本におけるスラックラインの第一人者。2年に満たないキャリアにもかかわらず、第一回日本オープンスラックラインチャンピオンシップ優勝、ギボンワールドカップツアー総合7位という成績を収め注目を集める。現在も大会に参戦する傍ら、Az-can(アズキャン)のニックネームで多数のメディアに出演し、イベントなどにもゲスト参加し普及活動にも貢献している。

ずっと現役でやっていきたい

Q.どのような夢ビジョンをお持ちですか?
我妻吉信さん(以下、我妻 敬称略):10年前、日本にまだスラックラインが普及していない時は、スラックラインの楽しさを伝えたいという夢やビジョンがありました。今は日本にもスラックラインが普及してきて、第1回日本オープンでは優勝することができました!

40歳になった今の夢は、競技者としての現役をどこまで出来るかですね!限界を決めずに、ずっと現役でやっていきたいと思っています。競技者としての現役は、今日切れてもおかしくない切迫感でやっていますね。

記者:えっ!その切迫感って何ですか?
我妻:2010年に第1回のスラックラインの大会がドイツのミュンヘンでありました。その翌年に初めて日本でも大会を開催して、優勝したんですね。その後に取材で韓国に行ったり、色々と忙しくしていました。

ようやく帰国した時に、落ちた10円玉を拾おうとした時に腰がパンとなって一気に右足が動かなくなって麻痺する所までいきました。その頃はスラックラインを始めて間もなかったし、手術をしても麻痺はなくならないと言われていたのですが、スラックラインを続けたかったので、ヘルニアの手術をしました。体のケアをしながらスラックラインを続けているので、いつまで現役を続けられるのか、切迫感をもちながらやっているんです。

Q.「ずっと現役でやっていく」という夢を実現するためにどんな目標計画を立てていますか?
我妻:自分でやっていることは、体のケアですね。体が動かなかったら終わりですから!体を維持するためのトレーニングとケアをしていますね。具体的には、朝・昼に何をやるか自分で考えたメニューに沿ってやっています。1日中ずっと何かしらストレッチをしていますね。体のケアが目標計画の8割ですね。

Q.その目標計画に対して、今どのような活動指針をもって、どのような活動をしていますか?
我妻:現役を続ける上での活動指針は、現役をやり続けるだけの話ですね。自分の中で決着をつけるまでやり続けるしかないですね。俺の中で、現役の定義は“自分が納得できるパフォーマンスをすること』”です。イベントなどで、パフォーマンスを見せている瞬間に、どれだけ最高の演技ができるかが勝負です。そういった現場では、スラックラインを初めて見る人がほとんどなので、俺がどれだけ出来るかでスラックラインの印象が決まります。俺の身一つで印象が決まるんですよね。だから、その現場で自分がもっている力を全部見せて、最高のパフォーマンスをしたいんですね。

初めて見る人たちを驚かせたい

Q.「ずっと現役でやっていく」という夢ビジョンをもったきっかけは何ですか?
我妻:2008年頃にスラックラインを普及したいと思って、パフォーマンスを見せられるように練習に励んでいたんですね。それから初めてスラックラインを披露できるイベントがありました。新しいスポーツなので日本では知られていなくて、その時が初めてのお披露であり、自分のデビューでした。

パフォーマンスをしたら、会場で見ていた人達がワーっと目を開いて驚いて、拍手で溢れたんです。そのデビューがきっかけですね。デビューの時のワーッという感覚が未だに忘れられないし、初めて見てくれる人達を驚かせたいからずっと現役でやり続けたいんでしょうね。

Q.その時に、どのような発見や出会いがあったのですか?
我妻:初めてスラックラインを見る人達との出会いですね。自分のパフォーマンスを見てくれて、それを凄い!と驚いてくれたり、実際にスラックラインを体験してくれたりする出会いがありますね。自分のパフォーマンスが決まった時は、自分の感情との出会いがあるし、スラックラインを体験している人たちが楽しそうにずっとやっているじゃん!というような予想以上の発見もありますね。

Q.その発見や出会いの背景には何があったのですか?
我妻:10年前に、中学校時代からの友達がスラックラインを紹介してくれたんですね。スラックラインはドイツ発祥なんですけど、友達はそれを仕入れて日本で商売をしようとしていました。それを聞いた時に、友達がスラックラインを売るなら、俺はスラックラインのプレイヤーだ!と思ったんです。

昔から、俺がピッチャーなら、友達はキャッチャーというような関係だったんです。友達はラグビー部のような体形で、俺はきゃしゃな体形で、俺のほうが運動神経が良いからスラックラインも自分のほうが上手だろうと思っていたんです。それが実際にスラックラインをやってみると、立っていられなくて全然できなかったんです。悔しくて、友達を呼び出してはスラックラインの練習をしていったんですね。そうするうちにスラックラインにのめり込んでいきました。背景は、友達ですね。

Q.最後に読者の方にメッセージをお願いします。
我妻:是非スラックラインをやってみて欲しいですね!スラックラインをやってみて、楽しくないと感じる人は少ないと思っています。多くの人がスラックラインを面白いと感じることをやってみてジャッジして欲しいですね。金髪のおじさんが話していることが本当なのか、自分自身で確かめて欲しいですね(笑)

記者:我妻さん、今日は本当にありがとうございました。
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我妻さんについての詳細情報についてはこちら
↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=hThI8fQX-K0

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編集後記
インタビュー中は笑いに溢れる時間となりました。「限界を決めずに、ずっと現役でやっていたい」というチャレンジを続けている姿勢が印象的でした。今の時代はチャレンジすることを諦めてしまう人も多いかと思います。そのような中、熱く楽しくチャレンジしている我妻さんは次世代の希望だなと思います!今後もご活躍を応援しています。

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36