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「それしかない時間」を確保する

産後、もっとも取れなくなったのが「映画、舞台鑑賞」の時間だ。なにかあったときの機動力に劣るからか、飲み会よりも心理的ハードルが高いのだ。

なので、映画は家で金曜ロードショーやAmazonPrimeVideoを観ることになるわけだけども、こういうときけっこうな割合でスマホを手にしていることに気づく。もちろんモノやジャンルにもよるけれど、時代背景やキャストなど関係あることを調べたり、まったく関係ないものを眺めたり・・・・。

なんでこうなったかというと、「授乳しながらスマホを見る」「抱っこで寝かしつけながらスマホを見る」の「ながら習慣」がそれ以外にも侵食してきた、という自覚がある。育児の隙間時間ではスマホが大活躍するけれど、だんだん「隙間」じゃなくなってきている危機感。

これってちょっと、いやかなりよくないよなあ、と自分でも思っている。スマホ依存気味ということもあるし、全力でひとつのコンテンツに向かい合わないと、ちゃんと感動できないし脳がスッキリしない。

この時代、もしかしたら、わたしのようなひとは少なくないかもしれない。そして、こんなふうになんでも「ながら」できちゃういまだからこそ、「ほかのことができない」映画館や舞台の価値はより高まっている気がしている。

意志で「スマホを手にしない」と決めるのもいいけれど、できればもっと映画、舞台、観に行こう。真剣に集中する時間を、このnoteを毎日書くみたいに、定期的に自分に課していこう。「それしかしない時間」を、もっと意識的に取っていこう。
そうじゃないと、うーん、どんどん「いい受け手」じゃなくなってしまうしまう気がするのだ。ものをつくる人間としても、ここ半年の自分の映像コンテンツとの付き合い方にはちょっと苦言を呈したい。


昨日、熱が下がらず身体中の痛みに参りながら横になって『怪盗グルーのミニオン大脱走』を観つつ、ツイッターを開き「#夏休み子ども科学電話相談」のハッシュタグを眺めている自分に気づいて猛烈に反省したのでした。

それでもミニオンはながら見にも耐えられるくらい存在感があっておもしろかったし、かわいかったけどね。


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