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「罪悪感ビジネス」との出会い

季節の変わり目だ。乗ったタクシーが寒かっただけで簡単に体調を崩してしまい、昨日は廃人だった。娘もぐずぐずで、この「病の重なり」にほとほと参ってしまう。

週末、ちょっと無理させちゃったんだよな。咳で寝不足っぽかったのに、「リスケが面倒」という母の純度100パーセントのエゴにより、某キャラクター英語教材の体験レッスンを断らなかったから。

というのも、雲より軽い気持ちでお試しDVDを取り寄せたら「ぜひお宅で『わくわく英語体験』を!」と怒濤の電話営業で。のらりくらりとかわしていたけれど、数ヶ月にわたって連絡は続いた。申し訳ない気持ちと決着をつけなければという気持ちで「この日なら」と受け入れたのだ。

営業さんが我が家にいらっしゃる。「わくわく英語体験」とのこと、娘も楽しんでくれるだろうか……とちょっと期待していたけれど、90パーセントは営業さんのトークタイムだった。そりゃそうか。

曰く。

英語ができると年収が300万円違いますよ。女の子だったらさらに差は大きくなります!

英語ができるだけで、受験が有利になる制度ができました。それに英語がネイティブ並なら、ほかの科目の勉強時間が増えますから!

脳が完成する前のマジックタイムに英語に触れさせないと、能力が消えてしまいます。どうか1秒でも早いうちに!

これからの時代、英語教育は必須。いつかやらなきゃいけないんだから、子どもが楽しんで学べるうちに習得すべきです!

……きっと、どれも正論だ。わたしだって英語が話せたらなあ、と思ったことは人生でたくさんある。旅行に行くときもコンテンツの受け手としても「楽しい」は間違いなく増えるし、できて損はない。そのためにいま払う税込み88万円は、まあ長い目で見たら安いもんだろう。

でも。わたしは話を聞きながら、どんどん暗澹たる気持ちになっていった。

「今日申し込めば、こんな特典がつきます!」という言葉に、心はさらに重くなる。「そういう意思決定はしたくないので後日連絡します」と断ると、彼女は「いまが大事ですよ」と言いながら、大きなキャリーケースにプレゼン資料をしまい込んで去っていった。

どっと疲れた。気づけばランチどきだ。なにもつくる気が起きず(普段もつくってないけど)、近所の蕎麦屋に入り、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを飲む。

——濃い目の焼酎を味わいながら、心に重くのしかかる感情の正体を考える。しばらくして、言語化できた。

親であるわたしたちの罪悪感を刺激しようという、そのスタンスだと。


ダイエット。自己啓発。投資。わたしたちは、さまざまな「煽りビジネス」に狙われている。「○○しなきゃ大変なことになる」「あなただけ損をする」「この情報は貴重ですが、知られていないんです」。

逆に言えば、煽られることには多少慣れている。心が疲れているときでなければ、そして出会ったことがないくらい上手な営業トークに巻き込まれなければ、簡単に流されることはないと思う。

でも、「罪悪感ビジネス」に出会ったのははじめてで。圧が強すぎて、心が食われてしまったのだ。

「いま、これをしてあげなければ、あなたのせいで苦労するんですよ」

罪悪感を刺激する。焦燥感をかきたてる。磨かれ、極められた営業トーク。これが教育産業ではいちばん効果的なのだろう。

そうして「時代が違う、あなたの基準は役に立たない」と言われれば、そうですかと言うしかない。先のことはわからないから、「しない後悔よりする後悔」を選ぶ親は多いはず。

ただ、わたしはぜんぜん嬉しくないし楽しくない、そんな投資をしても。あのとき88万円の契約をしていたら、「この子のためだから」と言いながらわたしは自分を肯定するための情報を必死で集めていたことだろう。

これからもきっとたくさんの罪悪感ビジネスがわたしたちを襲ってくるし、その中には、一理あるものも多いと思う。現にその英語教材は、親がコミットしてちゃんと使えば効果があると評判もいい(「ちゃんと使う」が大変なんだけど)。

でも、罪悪感を煽ってくるようなアプローチに乗るくらいなら、そこから距離をおきたい。その成功体験を、社会に還元したくないから。

煽られず、焦らされず、穏やかな心ですっきり納得する。そのためにはある程度の情報と、あとは「決める」覚悟が必要だ。決めさせられるのではなく、自分が決めるんだという覚悟。将来なにか文句を言われたとして、「おかあさんはこう考えたのだよ」と言う覚悟。

これも親のエゴだろうか? でもやっぱり、どうやったって「わたしの基準」でしか、人ひとりを育てることはできないと思うのだ。

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