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あの人は仕事ができない。

ここ数年、ヒットを飛ばし続けているすんごい編集者さんがいる。わたしは直接面識はないのだけど、夫(編集者)は知り合いなので、書店の棚を眺めながら「この本も○○さんなんだ、すごいねえ」となんとなく話を振ってみた。

すると夫曰く、じつはその方、書籍編集の前にいた雑誌の部署ではあまり評価されていなかったのだという。へええ、意外、とおどろいた。

その雑誌は、専門的な内容を正確にわかりやすく伝えることがゴールで、「たくさんの人に届けること」はあまり求められなかったそうだ。想像だけども……その方はきっとそういう仕事に打ち込めない性分で、チームで動くことが好きではなく、キッチリとした作業が得意ではなかったのだろう(そもそも雑誌のテーマに興味が持てなかった可能性もある)。とにかく精彩を欠いていた、らしい。

ところが書籍編集になってからは、もう水を得た魚状態。ひとりでゼロから企画を立て、著者さんと原稿と向き合い、プロモーションを考えると……あっという間に「仕事ができる人」になった。


「仕事できない」、強い言葉だ。ひとことで相手を評価してしまう強さがありながら、きわめて雑な言葉だ、とも思う。

そしてその「強い雑さ」は、自分に対しても向けられてしまうものだ。結果が出なかったり周りに評価されなかったりすると、「わたしは仕事ができない人間なんだ……」と思い悩んでしまったりする。自己評価がどんどん低くなり、心身が萎縮し、ずぶずぶとダメなスパイラルに入ってしまう。

でも、「できない」のはあくまで「その仕事」。だから「できない仕事」でにっちもさっちもいかなくなったら拘泥せず、思い切って違う仕事に自分をズラしてみたらいいと思う。冒頭の編集者みたいに、活動の場をズラしたら俄然活躍するようになった人、ぱっと何人か思い浮かぶしね。

自分も他人も、たったひとつの仕事をとおして「仕事ができない人」と判断してしまうのはもったいない。置かれた場所の土が絶望的に合わないケースだってあるのだから、人格を否定する必要はない。

仕事をしていると正直毒を吐きたくなるときもある、あるんだけれども、「この人にこの仕事はあんまりフィットしなかったな、でもこういう仕事なら力を発揮できるんじゃないかな」というところまで考えていくクセをつけなきゃなと思った。断罪しておしまいって、あんまりだよね。

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