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チョモランマ級の自意識と、ひらがなが言えるようになった話

「子どもができると自由になるよ」。たまに聞く話だけど、正直「はあ?」と思っていた。いやいやどう考えても不自由になるでしょ、と。飲み歩けなくなるじゃんか、と。

ところがどっこい、本当だった。感動して何度かツイッターにも書いたような気がするけれど、間違いなく、圧倒的に自由になった。

どう自由になったか。
「ひらがなが言えるようになった」のだ。

どういうことかというと、子どものころから29歳までわたしはチョモランマ級の自意識を持て余していて、「う○ち」「おっ○い」といったひらがなの言葉が、とんでもなく苦手だった。聞くだけでも恥ずかしくて、ぶっきらぼうになっていた。

じゃあ、そういう言葉を使わなければならない状況で、不自由人はどうするのか? 「排泄物」「授乳(胸)」といった漢字に逃げるのだ。人間に対してはもちろん、犬に対しても・・・・。

こういう言葉の選び方は羞恥心のゼラチン固めみたいなもので、窮屈だし、たのしくない。かと言ってひらがなを唱えて微笑むお母さんになるのは抵抗がある。どうしようかなあー、と唸っていた。

しかし娘がうまれてみると。抵抗とか、そういうのじゃなかった。

まず産院で、圧倒的な量のひらがなをあびる。助産師さんに胸を激しくマッサージされながらの、怒濤のひらがな攻撃。わたしは平気な顔をしながら、まだ羞恥心にそわそわしていた。

それでも入院5日を経ると、幸い、いろいろ麻痺していく。それに、なんというか・・・・ひらがなしかないのだ! ひらがななら伝わる、というイージーなものではないけれど、赤ちゃんとコミュニケーションをとるにはそういう言葉がベストっぽい。やむなし。自意識の山は、どんどん崩れていった。

そして10ヶ月経ったいまは、夫がいてもひらがなが言える。すごいことだね、とふたりで驚いている。こんなに(強制的に)パーソナリティが変化するなんて思わなかった。

もちろん、一方でなにかを失っているのも間違いない。あの繊細なトゲトゲした感覚はもう手に入らないだろう。けれどわたしは、自由を手にして屈託なくなった自分(自分で言うけど)を「悪くないなあ」と思っている。

自分の意志に反して自分がガラリと変わるのは、なかなかむずかしい。現に29年間、わたしは(ひらがなの件において)変われなかった。自分と向き合うとどうしても同じ方向に深化していってしまいがちだから、変化するために必要なのはたぶん、子どもにかぎらず、「他者」なんだろうなあ。

とりあえず母になって10ヶ月、やや自由になった記録として。

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