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自分の得られなかった幸せをよろこぶ

週末、むすめと女ふたりで実家に帰った。

今回帰省したのはちょっとした事情とあわせて、夫が上海出張に出ることも理由のひとつだった。数ヶ月前なら気楽に「いってらっしゃ〜い」できたけれど、最近のわが娘は自己主張が強く、ひとりで週末を乗り切れる気がしなかったのだ。

週末のみの弾丸帰省になるので少し迷ったけれど、夫が「ぜひ帰っておいで!」と背中を押してくれた。お正月も帰れなかったし、お父さんお母さんもむすめと孫の顔を見たいでしょう、と。

そのことを母に言うと、「ほんとうにヒロキさんは優しいねえ、いい旦那さんだねえ」と深く深く息を吐いた。えっ、そうかな? いや、そうなんだけど、なんでいま?

話を聞いてみると、両親が結婚して数年経ったころ、父がめずらしく出張で家を空けることになったらしい。そこで母は「じゃあわたしも実家に一泊くらいしてこようかな、一人暮らしの母も心配だし」と言った。まさか反対されるとも思わず。

しかし父は「はあ?」と眉をしかめた。

「主が家にいないときこそ、家を守るのが妻の仕事だろう」

当時はそんなものかと思って、「はい……」って引き下がっちゃった。いまだったら「守るって、スタンガンでも買えばいいの?」って嫌みでも言えるんだけどね。そう言って、母はふふふと笑った。もちろん父に「いじわる心」があったわけじゃないのはわかるけれど、そんなエピソードがあったんだとショックを受ける。

「だからお母さんはね、結婚してから実家に泊まったことは一度もないよ。田中家の人にも『もう実家とは縁が切れたようなもの』とか『うちの嫁』って言われて」

母のお母さんは、わたしの大好きなおばあちゃんだ。若くして交通事故で夫を亡くし、女手ひとつで4人の子どもを育て上げたひと。

そんな祖母は、おばあちゃんは、「嫁」以外の人間としての在り方を否定されたむすめをどう思っていたんだろう。寂しかっただろうし、ハイパー自由奔放で楽しいことが大好きな末っ子ひとりむすめが「田中家」でうまくやっていけるか心配だったろう。「人身売買」が当たり前の時代よりもう少し近代の話だし、祖母は知的でひらけた人だったから。

そんな背景もあって、母は、自分がいないときに実家に帰りなよと言ってくれる夫を持つむすめが、心底うらやましいそうだ。そして、「いい人と結婚できてほんとうによかった」とニコニコよろこんでくれる。

「いい人」のハードルの低さは置いておいて、自分が得られなかった幸せをがっちりゲットしているむすめに対し、手をパチパチたたいて祝福してくれる。これが親なんだなあ、と思う。

むすめが将来どんな幸せを獲得したら、「いいなあ」とうらやみつつ「ほんとうによかったね」と言うだろうと想像してみる。

よくわからなかった。

きっとそれは、いまわたしが無意識のうちに「そんなものか」と飲み込んでいる理不尽さなんだろう。むすめからしたら、「ハードル低っ!」と笑われるようなことかもしれない。そんな理不尽さが、どんどん薄まっていけばいいなと思う。

……いや、「そうなればいいな」ではなく「そうしていく」のが、いまこうして社会で働いているわたしの役割なのかもしれない。理不尽さに負けないような、なんなら立ち向かえるような人間に育てるのも、わたしたち親の仕事なのかもしれない。

あまり明確な結論は出ていないけれどそんなことをぐるぐると考えた、思いがけずパンチのある帰省だった。

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