いまは「薄い線」がたくさんほしい

産後、幸い鬱やらクライシスやらにはまったく見舞われなかったのだけど、とにかく体調を崩しやすくて参っていた。毎月恒例の高熱に、喘息、腸炎、肺炎、副鼻腔炎。炎上しまくりである。

原因はわからないけれど、授乳の影響で痩せ、体力が落ちたんだと思う。しかも授乳するために強い薬は飲めないので、どうしても長期戦になる。
そんなわたしを家の裏のかかりつけ医はとても心配してくれ、「もう断乳しちゃいなよ」とやんわり言われたことも何度かあった。

それで今日、また血を採られ点滴を打たれたのだけど(明日インタビュー動画の撮影なのに咳が止まらず)、
先生に「先週、数日連続で残業したらすーっと、お互い何の摩擦もなく卒乳しちゃったんですよねえ。だからもう強い薬ガンガン出してください」と報告したら「おお、ついに。それはよかった、お疲れさま!!」ととてもよろこんでくれた。「寂しくはない? 子どもは案外平気でも、お母さんがねえ」と添えて。
ほかにも「明日から出張? 新幹線止まっちゃえばいいのにね」「いやいや困ります」など雑談を交わし、薬をもらった。

体調が悪い状態が続くと、ものすごくブルーになる。精神的に落ちる。
けれど、病院通いをするなかで無機質な「医者と患者」から「先生とわたし」という有機的な関係になれたのはよかったなとしみじみ思った。

先週の飲み屋で人と話すのが好きという話にも通ずるけれど、東京の、自分で選んだこの町で、自分と町の人の間に線が引かれていくのが本当にうれしい。

この町の美容師さんだったり、犬友さんだったり、コーヒー屋さんだったり。通勤中に「おはようございますー」と挨拶したり、遠くからも気づいて手を振ってもらったり。豪雨のあとは「大丈夫でした?」なんて声を掛け合ったり。
ここに住んでまだ4年目だけどどんどん線は増えていて、それが「この町が好き」で「ここから引っ越したくない」という気持ちにつながっている。

・・・・と、もしここに15年前のわたしがいたら、未来の自分がそう思っていることが信じられないだろう。昔のわたしは、「濃い線が数本あればいい」と心底思ってたのに。「知り合いレベル」なんていらないって思ってたのに。

鹿児島にいるころは、随一の繁華街・天文館を歩けば知り合いに必ず当たる、という環境がいやでいやでたまらなかった。男の子と歩けば近所の親戚に即バレた。車で走っていても車種を覚えられていて、「昨日○○あたりにいたね」と母が言われるのをいつも聞いていた。

そんな町が窮屈で仕方なくて、上京したときは「これで誰にも見られなくなるんだ、透明になれるんだ!」と開放感に浸っていた・・・・のに!
結局、家族以外の人々がゆるりと周りにいることを求めているのだから、不思議でしょうがない。

いくら太く濃くても1〜2本の線しか持っていないのは不安定。薄くてもいいから、たくさんの線があったほうが安心する。有機的な関係の中で暮らしていきたい。いまは、そんな気分なのだ。お年頃なのか、生物的なものなのか、理由はわからないけれど。

引越しという面において身軽さがかなり犠牲になってるけど、それでもこの線をゼロに戻したくない気持ちが強いんですよねえ。どうなるかわからないけれど、ここに住むうちは薄い線、つつつ、と引き続けていきたい。

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花粉症しんどいけどハッピーになりました!
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田中裕子

batonsのライター。編集、インタビュアー。本をつくったり、雑誌やウェブで記事を書いたり、イベントの司会をしたり。鹿児島出身、東京在住。保護犬の柴犬テンコがかわいい。 noteは平日毎日更新(予定)。https://tnkyuko.themedia.jp/

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コメント1件

私もオフィスを自宅から数分のところにしてから、町を歩いていて挨拶をする人が増えました。たいていはよく行く飲食店の方ですが、交番におまわりさんが立っていると、必ず挨拶します。“薄い線”も心をゆたかにしてくれますね。
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