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その「ひと言」をくれる人

口に出した本人は覚えてもいないようなふとした言葉が「トスッ」と心に刺さり、救われたりうれしくなったり、ということが時々ある。

そんなひと言をくれるのは家族だったり、友人・先輩後輩だったりと幅広い。でも、「いいこと言うぜ」とキメたときじゃなく、本心を素のテンションで伝えてくれたときにぐっとくるのは共通しているな、と思う。

気合いばかりが空回っているときの「落ち着いて」と肩を叩いてくれる言葉。
べき論に縛られているときに「そんな必要ない」と諭してくれる言葉。
がんばらなくちゃと思い込んでいるときに「逃げていいんだ」と教えてくれる言葉。

そのたびに、ぐっときたり、ホッとしたり、はっとしたり……。
呪いや「セルフ洗脳」を解いてくれるひと言は、視野狭窄になっているときほど効くのでありがたくて仕方がない。そんな言葉をもらったら、せっせと心の標本棚に入れて失くさないようにしている。


で、なんでこんな話を書いているかというと、先日またトスッと刺さるひと言をプレゼントしてもらったのだ。

以前このnoteでも書いた気がするけれど、我が娘はしばしば検診で引っかかる。この前は、4月から体重が増えていないため病院送りになった。

しかし本人は食欲大魔神で、毎日雛鳥のように大きな口を開けてモリモリ食べている。しかも発達が遅く、あまり動く方でもないので消費カロリーが摂取カロリーを超えているわけでもなさそう。どうしたもんかなあ。

——という話をしたとき、友人が「○○ちゃんは頭を使ってるんだよ、(精神面ではできること多いし)脳でエネルギー使ってるんだよ」とサラリと言ってくれて。慰めようとか励まそうとかそういう感じもまったくなく、そのひと言はごく自然にわたしに届いた。

もちろんホントにそうなのかは、わからない。誰にもわからない。
けれどそのとき確かにスーーーッと気持ちがラクになった。そういう見方があるんだってハッとした。
検診を受けるたびに「なにごと」かある娘への心配で、気づかぬうちにちょっと脳が凝り凝りしてたんだなあ、きっと。

こういうことを言ってくれる人が周りにいるのは、うれしいことだ。一人で考えすぎてズブズブ沈んでいきそうなときに、希望の糸みたいな言葉を投げかけてくれる人。

そんなひと言を口に出せるのは、思いやりや言語センスじゃなくて、生き方というか人格なんだろうなと思う。いい人に囲まれていて、ラッキー&ハッピーとしか言いようがない。

じゃあ、わたし自身がそういう言葉を発せている自信はというと……あんまりない。発せていればいいな、とは思うけれど。

だからこそ、もらった言葉は大事に標本にして、何度も何度も取り出しては噛みしめよう。ほれぼれとし直そう。そうすることで、わたしの人格も少しずつ磨かれないかな。
もちろんそんな甘くはないだろうけれどね、周りの人にいい影響を持てたらうれしいからさ。

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