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「母の味事件」の教え

母の味ってなんだろう。特定のメニューなのか、全体の味付けなのか。はたまた地元の食材なのか、それとも食卓の雰囲気なのか。

——そんなことを考えているとき、夫が以前おしえくれた「母の味事件」のことをふと思い出した。

夫の母、つまりわたしの義母は、群馬の農家の出だ。だからめちゃめちゃ働き者で、しかもキレ者で、ブルドーザーのように物事を推し進めていく。リタイアまでずっと自営業を営む義父の右腕として働いていたけれど、どんな企業に就職してもバリバリ出世していただろう、というのが子どもたちの共通見解。

そんな義母は忙しい合間を縫って庭でたくさんの野菜をつくり、それを一部ぬか漬けにしている(余談だけど、群馬人はよく漬物を食べる。はじめて実家に行ったときにもぬか漬けが出てきて、京都的なアレかと思った)。

それで夫も一人暮らし時代、義母からぬか床を分けてもらい、せっせとぬか漬けをつくっていた。付き合いはじめた30代独身男性の家にぬか床の壺?があるのは予想外すぎて笑ったけど、そのときに夫が「母の味」の話をしてくれた。

曰く、数年前から自分でぬか漬けをつくるようになったけれど、どうも味がしまらなかった。なにかが足りない。実家の母の味にならない。

なぜ「母の味」は「母の味」なのか?
ぬか床にビールを混ぜているのか? 鉄釘を入れているのか? 
座る間もない多忙な日々の中、どんな工夫をこらし、どれほどの手間をかけているんだろう?

・・・・そんな疑問を持ちつつ、帰省したときにあらためて義母のぬか漬けを食べてみた。

ああ、これこれ。やっぱりおいしいなあ。これぞ母の味。

そして夫は気づいた。ぬか漬けの表面に、なにかつぶつぶが乗っていることを。

ん?

顔を近づけてよく見てみる。

白い粉だ。

白い粉・・・・?

白い粉・・・・


そう、味の素である。

「AJINOMOTO!!!」

夫は爆笑し、そして恥じた。
我が母は化学調味料など使わないだろうという思い込みを。
母の味は、昔ながらの素朴さでできているという思い込みを。

そして東京に戻り、マイぬか漬けに「白い粉」を振りかけたところ、非常に味のしまった「母のぬか漬け」になったのであった。ちゃんちゃん。

・・・・という話がわたしは大好きなのだけど、寓話的というか、なんだか示唆に富んでません?

「こうであるはずだ」
「こうであってほしい」
「こうあるべきだ」

「母の味事件」はただの笑い話だけど、こうした思い込みや願望に囚われ、人に押しつけはじめたら怖いなと思う。

わたしもいろんなことに対して、「母のぬか漬け」みたいに知らず知らずのうちに思い込んでること、あるんだろうなあ。

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