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むすめが1歳になりました。嵐の日の出産を振り返って

むすめが1歳になった。
世の中には子育てに関するエッセイやイラスト、漫画がたくさんある。それは知識として知っていたけど、この一年をとおしてわかったのが、「子育てはネタの宝庫である」ということだ。

それまでの人生で感じたことのない感情や遭遇したことのないピンチ、小さなよろこびや笑い、疲れが、毎日渋滞している。それを残しておきたいと思うひとがたくさんいるから、「子育てコンテンツ」は世の中に溢れるんだと思う(ネタにしなきゃやってられん、というひともいるだろう)。

ということで、せっかく1歳なので、わたしも出産についてざっと振り返らせてください。べつにおもしろい話があるわけじゃないけれど、無痛分娩予定の、けっこう有痛だった話。

***

昨年の8月20日は、世田谷の花火大会だった。ライター仲間のお宅に夫婦でおじゃまして、「涼しいところででっかい花火を見る」という至福の時間を過ごす計画。わたしは無痛分娩で22日に計画入院予定だったので、最後のレジャーだなあと思っていた。我が家よりも病院に近いし、というのも心の言い訳になった。

二子玉川に着き、その日集まる10人分のから揚げを調達。えっさほいさと抱えて外に出ると、あれ? 真っ暗。初見レベルの暴風雨、というか嵐だった。みんなキャーキャー言いながらスマホを向けている。改札前の屋根がある広場にいるのにミスティ。完全に足止めされ途方に暮れていると、花火大会の中止が告げられた。

花火鑑賞会はただの飲み会になりましたがぜひ、と連絡が入ったけれど、まさに芋洗状態で身動きが取れない。ひえーどないしよー、と思っていたら。

ズン・・・・

なにかが下腹部で響いた。え? 花火? んなわけない。しばらくじっとしていると、それはまたやってきた。

ズン・・・・

小さな鈍い痛み。あ、これたぶん陣痛だ。たぶん。「ねえねえ」と夫に耳打ちする。

「なんかね、下腹部痛くてさあ。陣痛っぽい気がする、たぶんね。まあ、まだまだ大丈夫なんだけど。でも可及的速やかに帰りたいです」

後半こそが本音だったのだが、しかし暴風雨で電車は止まり、あれよあれよと駅は封鎖されてしまった。OMG!

ああ無謀な外出をしてしまっただろうか、最悪タクシーでこのまま病院に向かわなきゃかなあ・・・・とうっすら後悔しつついろいろなシミュレーションをするうちに、なんとか電車の運転が再開。「帰ります」と連絡して、すたこらさっさと家路についた。

帰宅後、産院に電話して食事を取っていいか確認した後、ひたすら10人分の唐揚げを食べた。少しでも片付けておかないと、わたしの入院中、夫が唐揚げ地獄になってしまう。まだまだ我慢できる小さな痛みを抱えつつ、男子高校生のような食事を取った。

そこから夜に向かって、だんだん痛みが増していく。産院に電話をすると「まだ待機」。等間隔でやってくるウゴゴゴゴ…という痛みに悶絶しつつ、「ねえこれ、横田さんには耐えられないからね!」と夫に八つ当たりしつつ、「こんなに痛いのに待機でいいの? 家で生まれたらどうするの?」と不安になったチキンなわたしは2時間待って、再度、産院に電話した。

助産師さんに「(絶対まだ早いけど)そんなに来たかったら来ていいですよ」と言われ、登録していた陣痛タクシーを呼んだ(夜中の1時なのにすぐ来てくれた、ありがとう日本交通さん)。このときはなにより、家で生まれることが怖かったのだ・・・・。

ところが。病院につくと子宮口が2センチしか開いてないという。
「一度自宅に戻って・・・・」と言われるが、ムリムリムリムリめっちゃ痛い。痛みに襲われると歩けないし息もできない。また往復タクシーに乗るとかいろいろムリ。無痛どこいったの、わたしの無痛分娩。
そんな絶望的な雰囲気を察したのか助産師さんは、

「夜中ですし、朝まで空いてる部屋で横になっててください」

と救済措置をくれた。

「とにかく身体の力を抜いて、痛みと戦わないで。そうしたら子宮口も開いてくるかもしれないから」

もし朝までに子宮口が開いたら、そのまま入院にしましょう。そう言われ、身体の力を抜きまくるわたし。産むまで帰りたくない一心で、痛みを受け流す。

「あ、上手ですね〜その調子、その調子」

こんなときでも褒められたらうれしい。やる気になって力を抜く。

しかし「陣痛の痛み」、噂どおりにすごい。痛みの波が引き、ふぅっと一息ついたタイミングで「よし、次の波がやってきたら痛みを言語化してみよう」なんて思っても、いざ波がくると「アババババ」となる。精神を保てない。これで子宮口2センチなの? 10センチ開いたら死なない?

3時ごろ、一度チェックしましょうと分娩台に案内される。数メートルの移動が地獄。気を紛らわすためにハンドタオルのタグをぐりぐりしていると、「あ、6センチ開いてますね。このまま出産に入ります」と言われた。

そうでしょう! めっちゃ痛かったもん! 

そこから頭の中は「麻酔麻酔麻酔麻酔麻酔・・・・」。どれくらい待ったんだろう、一日千秋を絵に描いたような時間。

そして、先生がいらして麻酔を入れてくださった、すると。

パァァァァァッッッ

っと痛みがひいた。すごい。すごい! 西洋医学万歳!!
そこからはもうパラダイスだった。夫と「残りのから揚げがんばって食べなきゃね」なんて談笑しながら、「いきむの、本当に上手ですよ!」と褒められながら、
朝7時41分、むすめをスポンとこの世にリリースした。

最後がまったく痛くなかったのでヘロヘロになるわけでもなく、「生命の誕生に感動」というわけでもなく。照れもあったのか、正直、ベビーに対して少しだけ距離があった。カンガルーケア(生まれたての裸の赤ちゃんを胸に抱っこすること)しながら思ったのは、「髪の毛多いな・・・・」だったし、まだまだ気持ちがフワフワしてたなあ。

まあ、この「距離」はだんだんと、時間をかけて、しっかりと縮まっていくわけだけども。

* * *

こうしてわたしの無痛分娩は、途中までけっこう有痛分娩になった。どのみち産院の方針で陣痛ゼロにはしないらしいけれど、急に開いたから痛みも強かったのでは、と言われた。

子宮口残り4センチは麻酔で切り抜けたわたしが言うと甘ちゃんなんだけど、陣痛というものの威力にはちょっとびっくりしたなあ。マツエクが枕に散乱してた、と言ったらその惨状が伝わるだろうか・・・。

いまはもう思い出せないし、思い出せるようならみんな二人目なんて考えられないと思うけどね。

でもそれ以外は、1年経ってもかなり鮮明に覚えている、夏の1日でした。

かわいいむすめよ、1歳おめでとう。ありがとう。

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