その本を、どう企画していくか
午後、とある著者さんがbatonsのオフィスに遊びにきてくださった。
好奇心旺盛で博識、またご自身も文章を書かれるその方とのお話はとても盛り上がり、あっという間の2時間弱。その最後のほうで「古賀さん、いま、誰のどんな本をつくりたいですか?」という質問が飛び出した。
わたしは「誰」の部分は知っていたけど、「どんな本」の部分まで聞いたのははじめて。あくまで構想だけどその企画はとても魅力的で、でもその方が書きそうな本のイメージとは少し違った。「一般的にはこっちをターゲットにしてこういう内容にしそうだけど、そっちなのか」と。でも、明らかにその腹案のほうがおもしろそう。
ふたりになってから、どうしてああいう企画を思いついたのか聞いてみた。いろいろ話したことをざっくり要約すると・・・・。
自分が本づくりに携わる以上、ふつうの本にはしたくない、という気持ちがある。だから、「ふつうはどんな企画になるか?」を考え、その合わせ鏡の道を考えた。
——というアンサーだった(あれ、ざっくりすぎるかもしれない)。
ううーん、なるほどなあ。
たしかに「まあそうなるよね」という企画は手堅く安心感がある一方で、あんまり素敵じゃないことが多い。著者のあたらしい魅力が引き出されていなかったり、既視感があったり。そういう本はある程度は売れるけれど、なかなか大ベストセラーにはならなかったりする。
そんな凡庸な企画にならないために、「ふつうはこうだよね」を活用する。「『ふつう』の合わせ鏡」をのぞいてみるのが、古賀さん流のひとつの企画の立て方なのだ。
(たとえば『ゼロ』は数ある堀江さんの本のなかで異色の存在だし、『嫌われる勇気』は『初心者でもわかるアドラー心理学』にはならなかった。「著者のほかの本」や「ありがちど真ん中の企画」を合わせ鏡に映すことで、それぞれああいうかたちに磨かれていった面もあるんだと思う)
同じ著者でも企画次第で5万部にも50万部にもなり得る、かもしれないのが、この仕事のおもしろさでもある。
だからこそ、別の本をスライドさせたような企画、「この著者ならこんな感じっしょ」という安易でラクな企画の魔力に引き寄せられそうになったとき、ぐっと踏ん張らなきゃいけない。
「企画の芽」が「進行中の企画」になるとうれしいもの。だけど、その心の安寧のために焦って雑なパッケージにまとめないこと、だなあ。たくさんの人に届くほうがずっとうれしいはずだから。
戒め。ふつうの企画には、ふつうの結果しか待っていないのだ。
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