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巨大企業のCEOもとなりのお姉さんも、根本的には同じ

昨日は涼しかったので、ひさびさに家まで歩いて帰った。いかにも東京らしい大通り沿いを歩きながら、これくらいの気温だと排気ガスにも「うっ」とならないな、といい気持ちで渋谷から2駅、すたすた歩く。

仕事帰りに40分も歩くのは、決して健康のためじゃない。どこかいい飲みどころを開拓したいという下心込みの「夜ピク」だ。わたしが使う沿線の区間は地下を走っているから、ときどき地上を歩かないとお店の盛衰に気づけない。移り変わりが激しい街に必要な、パトロール業務である。

昨日は家にほど近い場所で、いい感じの新店が目に入った。路上に立てかけられた看板を見ると、ひとり客ウェルカムっぽいメニュー(生姜のキャロットラペ、水茄子とミョウガの和え物、ラムチョップ・・・・)に、グラスワイン7種。よい。

意気揚々とドアを開けると、テーブル席に3人客、そしてカウンターに少し年上のお姉さんが座っていた。ひとつ空けて、お姉さんの横に座る。ビールを飲み、1皿目を食べ終わるころお姉さんに話しかけると、気軽に応じてくれた。

職業柄というか、元々の性質というか。
ひとり飲みのときはついつい、ウズウズしながら知らないひとに話しかけてしまう。失礼にならないように、でもしっかり好奇心をぶつける。こうして誰かとしゃべるのが、わたしにとって平日の大事な息抜きだ。

ライターや編集は、比較的いろんなひとと会える仕事だと思う。実際、この前は世界的な企業の社長に取材したし、芸能人と仕事することも、世の中に知られてはいないけど、信念を持って懸命に生きる市井の人々の声を聞くこともある。

でも、わたしにとって、巨大企業のCEOもとなりのお姉さんも「知らない世界を生きているひと」という意味ではまったく同じで、話を聞くのが楽しく、勉強になり、心を動かされることに変わりはない。ほんとうに。

そりゃ、ひとによって話のスケールの大きさは違うし、刺激的な話、深い人生哲学なんかは特別な経験をしている一部のひとのほうが豊富だ。言語化のレベルも違う。

けれど、昨日のお姉さんからは、
「犬嫌いなのに、夫に押し通され二匹の犬を迎えたらすぐに妊娠してしまい、自宅出産で三匹取り上げ感動した話」
「父の再婚相手と連れ子に父が書いた遺書を隠され、裁判沙汰になって疲れ果てている話(現在進行形)」
が聞けた。上場の話とどちらがおもしろいって、比べられなくない?

思えば高校生のときは、知らない世界を知りたくて(と人見知りを直すため)、毎回違う美容師さんに切ってもらい、コミュニケーションを取ることを自分に課してたなあ。
とくに当時は、ひとの進路やキャリアの意思決定に興味津々だった。進学校ならではの、狭い世界を生きてる危機感もあったしね。でも、意識の高い危機感よりも、断然「たのしい」が上だったと思う。

あ、もしかしたら。
高校時代から「取材」の場数を踏んでいたからこそ、いまの「飲み屋で友だちをつくるわたし」や「仕事で緊張しないわたし」ができあがったのかもしれない。
もしそうだとしたら、謎にストイックだった10代のわたしを褒めてやりたい。はじめての美容室のドアを開けるとき、それなりに緊張していたはずの10代のわたしを。

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