核家族のデメリットは「かわいい」が増幅しないこと

(心の中で、これは金曜日分のnoteだ、と言い訳しながら書いている。娘と飛行機に乗ったら疲れ果てダウンした。というか、初の子連れ帰省は一人の時間、皆無だった)

さて、週末は実家の鹿児島に帰省した。里帰り出産はしなかったので、1歳1ヶ月の娘と会うのは母3回目、父は2回目。

娘よ、どうか人見知りしないでおくれ、気を遣ってかえって疲れてしまうぞ。……と、少しだけ心配していた。

結果。

実家はパラダイスだった。赤ちゃんがいる空間において、大人の目が5つ以上、差し伸べる手が5本以上あるって、なんと素晴らしい! 子育て経験ほぼゼロ、戦力外の父ですら、危ないことをしないか見ることはできるからありがたかった(ちなみに人見知りは数時間でおさまった。ほっ)。

じつは最近「核家族無理」が家庭内流行語になるほど、夫婦2人で子どもを育てることが「よいこと」に思えず悶々としていた。だから余計に「この環境、いいなあ」と考え込んでしまったのだ。

たくさんの人に囲まれ、可愛がられ、それぞれの関係性を感じたり価値観に触れたりすることができる娘。
「ちょっと見てて」の小さな隙間時間が確保できることで、用事ややりたいことを完遂できる私(子育て中、「なにかをやりきること」は思った以上にむずかしい)。
そして、孫との時間を心から喜び、張り合いを感じる祖父母である両親。

——いろいろと「いいな」と思うことはあったけれど、今回いちばん感じたのは「かわいいが増幅する」ってことだった。

子どもはかわいい。それはそれはかわいい。
お餅みたいできゅんとするし、パンダの赤ちゃんの映像を見ては娘を重ね合わせるほど、彼女が頭を占めている。
1年前より、1ヶ月前より、今日がいちばん好きだ。
「子どもはかわいい」という言葉でしか表現できない、その不自由さに悶絶するほどかわいい。

……と、普段くどいほどに思っていても、実家に帰るともっとかわいく感じた。なぜかというと、両親や親戚が「かわいい」と言ってくれるから。「かわいい」という言葉が空間に反響して、どんどん増幅していったのだ。

おいしいごはんは一人で食べてもおいしいけれど、「おいしいねえ」と言い合って食べるともっとおいしい。
好きなアーティストの音楽は部屋にこもって聴いても染み入るけれど、ファン同士でメンバー間のエピソードを語り合ったり「埼玉スーパーアリーナの3曲目の演出がやばい」と言い合ったりするともっと楽しい。
そんな感覚に近いかな。

核家族で子育てしていると、娘のことを日常的に「かわいい」と言い合うのは夫婦だけになる。だから「群れ」のメンバーで娘を見つめ、彼女について語り合い、それによってさらに「かわいい」となる感覚には、なかなかの多幸感があった。

もちろん完全同居となれば面倒なこともたくさんあるだろうし、それはそれで悶々とすることもあると思う。それでも子育てにおいては、メンバーの数は多いほうがいいんじゃないか、というのが今の私のスタンスだ。まあ、人間は群れで赤ちゃんを育てるように進化してきたから、核家族を不自然に感じるのは当たり前なんだよね(それを補うための行政・民間サービスもいろいろあるし助けてもらっているけれど、「群れ」の機能を担ってくれるわけじゃない)。

群れで育てたいと思いながら、それでも私たち夫婦は東京で生きていくことを選んでいる。現実的にも、気持ちの上でも、しばらくここを離れるつもりはない。
自分たちらしい群れ、東京で見つかるかな。ないなら、つくれないかな。
自分も誰かの「この子はかわいい」確信を深めるメンバーになれないかな。

そんなことをちょっと真剣に考えた帰省だった。

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田中裕子

#育児 記事まとめ

妊娠から出産、子育て、教育についてなど、noteに投稿された育児系の記事をまとめていきます。

コメント1件

まず、田中家、徳家、井上家で三国同盟を結ぶのだ
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