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ひとが怪しい壺を買ってしまうとき

雑誌のおわりのほうに入っている、やたらギラギラした「金運が良くなる財布」の広告。
・・・・と言うと、だいたいの人が「あ〜あ、あるある」とわかってくれると思う。どの雑誌に入ってるかも確かじゃないけど、トータルかなりの回数目にしている気がする。なかなか付き合いが長いけど、一度もまじめに読んだことはない。

ああいう広告を見て、だれが買うんだろうなあ、と思っていた。「これを買えば金運がよくなるのね! 安い買いものだわ!」と本気で信じるひとがいるんだろうか?  大丈夫かな? と。

・・・・しかし最近、「わかる」と思うようになった。「なにかを超越した存在にすがりたい気持ち」が、ものすごくわかるのだ。

というのも産後、おどろくほど体調を崩しまくっていて、もう悲しくて歯がゆくて。毎月のように高熱をたたき出す体温計を見るたびに「もしかしたら自分が思っているよりムリしてるんだろうか」と不安になり、親遠方のため頼れない完全ツーオペ仲間の夫に「すまない・・・」と申し訳なくなる。
しまいには「このまま短命になったらどうしよう」と、むすめの髪をなでながら沈み込んでしまう。気持ちは『となりのトトロ』のお母さん。割とごきげんに生きているわたしですら謎の悲劇のヒロイン思考に陥ってしまうから、体調不良っておそろしいものだと思う(元気になるとすっかり忘れる)。

そしてベッドの中で、こう思うのだ。

「いま健康になれる『なにか』を売りつけられたら、買ってしまうな・・・・」

これはいろんなことに当てはまると思う。
お金に困って思い悩んだときは、金運がよくなる財布。人生うまくいかずに落ち込んでいるときは、悪い気を祓ってくれる壺。思うように婚活が進まず自信喪失しているときは、いい人を引き寄せてくれるブレスレット、というように。

これらが「ほんとう」かどうかはわたしにはわからないし、ここで議論する気もない。
だけど、二本足でぐらぐらとバランスを取りながらいっぱいいっぱいになっているとき、三本目の足となるもの、つまり自分を支えてくれるもの、信じられるもの、希望になるものを求めるのは、まったくおかしなことじゃない。むしろどんな値段でも、「安い買いもの」だと思えてしまう。

なにかに「すがる」という判断をしてしまうひとは、「弱いひと」じゃなくて「弱っているひと」なのかもしれないなあ。雑誌の広告を見て「これを信じるひと、大丈夫かな?」と思っていたけれど、大丈夫じゃないんだ、きっと。


さて、冗談めかして「超虚弱化」なんて言っているけど、卒乳までの辛抱なのでしょうか。毎日すごい量の血液、奪われてるからね。がんばろう。

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