写真_2017-01-13_22_36_14

いつもインタビューする側だから、たまにはインタビューされたい

「ものを書く仕事」をしている人には、いろいろなタイプがいる。

キャラクターで売っている人、「○○ライター」という肩書きを持つ圧倒的得意分野がある人、そのジャンルの草分け的存在、専門家——。
そのなかでわたしは、強烈なキャラクターや主張があるわけでもないし、とくに○○にあたる部分もない。いわば「ノーマル」だ。人のキラキラやアツアツをサポートしつつ昇華させる、黒子タイプ。相手の壁打ち相手になり、出てきた要素を構成しなおし、言葉に落とし込み、できるだけ的確にかつ広く伝えていきたい、というタイプ。

「もっと前に出なよ」と言われることも多いけど、自然と歩んでいるのがこういう道だし、必要があれば考えようかなーくらいに思っている。
だけど、このスタイルにはひとつだけ欠点がある。
個性際立つ「ものを書く人たち」に比べて、圧倒的に「インタビューされる経験」が少ないことだ。唯一受けたインタビューは、佐藤友美さんに取材してもらったこれ。なんと3年前! 駆け出し!
探し出したはいいものの、モーレツに恥ずかしくて最後まで読み返せなかった・・・・あばばばば。トルコで蜂蜜食べてる写真がなつかしい。

このときは人生ファーストインタビューだったので、インタビュアーのさとゆみさんにものすごく「ごめんなさい」がある。その場でちょっとかっこつけて「いいインタビュイー」になろうとしたり、原稿段階では「どう見られるか」が心配でいらぬ修正を入れちゃったり・・・・(クソ生意気だと思われたらどうしようとビビってしまったのだ、クソ生意気だったのに)。

でもこのときの経験が、「取材慣れしていない著者はなにを心配するか」とか、「どんな朱字を入れがちか」といった学びにつながった(経験上、取材慣れしていない方は朱字や追記の分量が多い)。
あと、さとゆみさんの「聞き方」は気持ちよかった。インタビュアーの敬意って伝わるんだなあ、と実感した。

「反対側」から見ることで、気づけることってたくさんあるのだ。

* * * 

で、なんでそんなことを考えていたかというと。
ベースとしてはbatons古賀さんのこのnoteを読み「インタビューについて」という議題をぼーっと頭に残していたのと、

最近、ツイッターで「インタビューのスタイル」について語られているのを続けて目にしたから。

(ますます個人が発信力を持つ今後、編集者やライターの価値はここでこそ発揮されるんだろうなあとわたしも常々思っている。インタビューの場だけじゃなく、出てきた原稿を読んだときも含めて)

(ここに名前が出ているお三方は直接お目にかかったことはない。けれど、魅力的なライターさんだなあ、とご活躍を拝見している方々だ。着眼点や文体、生き方などなどそれぞれ個性がスパークしていて、「ライター」の4文字には無限に幅があるなあとあらためて感心させられる)


それで、いろいろ考えるなかでポンと浮かんだのが、「インタビューされたいなあ」だったのだ。
これはもちろん、「もっと『わたし』に注目してほしい」という話では決して決して、断じてない。単純に、ふだんと逆の立場で、自分とは違うプロの「やり方」に当たってみたいだけで。独立半年ちょっとのインタビューでもいろいろ気づきがあったのだから、いまだったらものすごく勉強になりそうだぞ、と。

向かい合っていろいろなことを聞かれ(「聞かれない」かもしれない)、素材を練り上げてもらい、わくわくしながら原稿を読んでみたい。小学生がはじめて教卓に立って教室を見回し、「先生ってこんなにみんなのことが見えてるんだ!」とびっくりするように、「あちら側」から見ることであらたな発見があるはずだから。原稿よりはるかに属人的だし、どれだけ再現性を持たせられるかわからないけど、少なくとも「いいインタビュアー」に近づく助けになるはずだから。

・・・・もう、実現するかとかだれがやってくれるのかとかどの媒体に載せるんだとか全部置いておいて、願望だけでこの文章を書いています。でも同じことを思っている書き手の人、結構いると思うんだけどどうだろう。


ちなみに。わたしはインタビュー(取材、と言うことが多いけど)するのが好きで好きで、いつも静かに興奮している。自分が番組に呼ばれるような人間になりたいとは思わないけど、ラジオのインタビュー番組を持ちたいという密かな野望もあるくらい(自分の声は苦手だけどね)。話し終わった相手が、気づけばひとつふたつとステップを上がっているような、さらに「次」を見据えているような、そんなインタビュアーになりたい。


サポートありがとうございます。いただいたサポートは、よいよいコンテンツをつくるため人間を磨くなにかに使わせていただきます……!