見出し画像

シッターさんにも「いい母親」に見られたいという罠

夫とはグーグルカレンダーを共有していて、平日夜の予定は早い者勝ちだ。具体的な予定を入れることもあれば「残業希望」と押さえることもある。予定を入れなかったほうが、むすめと過ごすというわけ。

ところが金曜、うっかりふたりとも夜の予定を入れてしまい、しかも直前まで気づかなかった。お互い仕事で、どうしても動かせない。

ということで、ひさびさにキッズラインでシッターさんをお願いすることにした。アプリを使ってサクサクっと希望の条件を満たすシッターさんに依頼をかける。快諾。ほっ。

しかし。問題がある。
いま、我が家は猛烈に散らかっているのだ。
なぜか。わたしの締め切り前だからだ。さまざまな家事育児を問題なくこなせる夫だが、片付けだけは我が家でわたししかできない。「料理しない」とか「飲み歩く」といった悪事を働く妻だけど、ちゃんと心地よい家づくりの守備を司っているのだよ。いやでも、これで夫が片付けも得意だったら熨斗つけ返品案件かもしれない。そういう意味で得手不得手がバラけていてよかった。

なんの話だっけ。そうそう、今週はわたしの締め切り前で、毎日深夜帰宅だった。当然そこから家事をする気などまったく起きず、1日、また1日と部屋に生活感が蓄積していく。ソファの背もたれで地層化する服。取り込んだままの洗濯物on仕事机。ダイニングテーブルの、食事に使える範囲が日々狭くなる。

で、クライマックス?とも言える金曜日、シッターさんを呼ぶことになったわけだけど…さすがにちょっと抵抗があるのだ。

仕事に出る前にリビングの片付けしなきゃ。床も拭きたい。なんならお風呂掃除もしとくか。玄関掃いて、廊下の本棚のホコリを落として掃除機かけて。犬にブラシとコロコロもしとこ。

…あれ、忙しいからシッターさん頼むのに、おかしいぞ!

で、このバタバタについてちょっと考えたんだけど、まず「お客さまを家に招くときにはおもてなしとして部屋を掃除する」という常識を、無意識にシッターさんにも適用してしまってるんだよね。散らかった家に人を入れるのは失礼だ、と。

これに対しては自分の心理を意識の力で変えるしかない。
「うちよりやばい家は山ほどある」
「シッターさんは戦友・仲間であって、お客様ではない」

と目をつぶって自分に言い聞かせる。

そしてそして、もしかしたら、これも無意識に「いい母親感」をシッターさんに出そうとしてるのかもしれないなあ、と思った。「ちゃんとした妻感」というか。軽蔑されたり呆れられたらヤダなあ、って。
見栄と言えばそうなんだけど、はじめてお願いする方だから、とくにそう思うのかもしれない。はあ、まったく「ちゃんとした母親ライフ」を送ってないのに、自分にそんな意識が残ってることにびっくりよ。

この心理的障壁がなくなると、もっと気楽にシッターさんを頼める気がする。シッターさんにお願いする前、なんだかんだちょっと夫婦でバタついちゃって、家の中がピリつく。それがちょっと嫌なんだ。

負けないぞ、となにかと戦いつつ、わたしは散らかった部屋を後にした。

サポートありがとうございます。いただいたサポートは、よいよいコンテンツをつくるため人間を磨くなにかに使わせていただきます……!