「わかんない」がたのしくなる

もう、美意識が違うのだ。

インスタで目にした、若い夫婦が赤ちゃんと撮ったプリクラを見てしみじみと思った。
目の大部分を占領する黒目に尖ったあご、真っ白のつるんとした、しかし妙に血色のいい肌・・・・。
両親のほんとの顔はわからないし、赤ちゃんは目が大きすぎて、夜道で追いかけられたら悲鳴をあげるレベルの造形になっている。

いまのプリクラはこのように「ある正解の美」に向けて徹底的に加工するタイプが主流だ。そしてそれは、若い子たちにとってこのプリクラは撮る価値がある、つまり美意識にかなっているということだと思う。

しかし、うーん。
インスタでざっと見てみたけどみんな同じ系統の顔になっちゃってて、プリクラを手がかりに待ち合わせしても絶対わからない。もはやプライバシー保護のためなの? と言いたくなる(んなわけはない)。
というかね・・・・正直、まったくかわいく見えないのだ! 2005〜2010年くらいのプリクラの「補正」くらいがちょうどいいと感じてしまう。おばさん全開である。

さてさて、こうしてわたしは、ある市場から追い出された。
思い返せばいつからだろう、「いまどき」の流行は飛びついたり自然と定着するものではなく、「わっかんないわー」から入り、ターゲットや魅力を分析し、情報としてキャッチアップするものになった。とりあえずやってみたら意外と楽しめたり、自分が「お客さん」じゃないことを噛みしめたり・・・・TikTokとか。
(これは層みたいなイメージで、たとえばわたしの場合インスタのストーリーは自然になじんで使ってるけど、もう少し上の年代の何人かから「消えるのになんでアップするの?」と言われたことがある)

この「わっかんないなー」からのキャッチアップは、「流行に乗れなくなった」と言える。けど、「流行を観察するたのしさを知った」とも言えるんじゃないかなと感じている。なんだか最近、「わっかんないなー」がおもしろくて。カルチャーってこんなにスピーディに変わるのか、とびっくりわくわくできるのは、当事者じゃないからだろう。

「わからないこと」にちょっと焦りを感じていた時期もあった。メディアに関わる者としてそれでいいのかなあって。でも、自分が理解できないものに抵抗感や嫌悪感を持たず、好奇心を持てるなら、自分自身が流行に乗れなくたっていいのだといまは思っている。

もうすぐ1歳の娘が中高生になるとき、どんなものが流行るんだろうなあ。とりあえず「意味がわからない」「くだらない」なんて言わない親になりたいよ。

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