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2019年はさ、ワガママになるよ

1年でいちばん何も考えずにへらへら過ごす日、大晦日。

この日をとことん漫喫するために1年間がんばったのだ、と満足しきってナイナイの『おもしろ荘』を見終わり、2018年最後の布団に入った。謎のネタ「パンケーキ食べたい」はうたかたの夢だったのだろうか。

そして、いつもどおり一夜明けるだけなのに、1月1日の空気は大晦日のそれとはえらい違う。もちろん朝から日本酒を飲むし、お笑い番組を垂れ流すしで、まちがいなく大晦日から継続して浮き足立ってはいるんだけど。

それでもどこかおごそかで内省的になってしまうのが、元旦の力だ。オイシックスで頼んだおせちをつつきながら、「どんな1年にしたいか」を夫婦で交換した。

さて、あれから1週間経ち、七草粥を胃に流し込んだところですっかり正月気分も抜けてしまったけれど、ぼんやり考えた「こんな1年にしたい」を残しておく。

いまさらの、note書き初め。

◆  ◆  ◆

さんざんここでも書いているように、産後4ヶ月でスタートした2018年はてんやわんやな1年だった。卒乳するまでぼろぼろに体調不良が続き、塀の上を歩いているようで、声をかけてもらうことはあっても自らあたらしい領域にチャレンジする余裕と余力はほぼゼロ。

ただ、振り返ってみると、その分「手に持っている力を深める」ことだけに集中できたし、自分のいる場所を確かめられた1年だったのかな、と思う。

原稿で言えば、ひたすらカンナをかける気持ちで粘りに粘った。もっとおもしろく、もっと人となりが伝わるようにと、構成も言葉選びもサボらなかったしあきらめなかったと思う。

遅筆をきわめ、お仕事もけっこうお断りして生産性はバリッバリに低かったけれど、ふと「あ、もう大丈夫だな」と思えた瞬間があった。なにが「大丈夫」か。

コンテンツづくりに対する、自分に対する信頼のようなものを感じられるようになったのだ。わたしなら大丈夫っしょって。大船に乗っててくださいって(あまりこういうことを言うガラではないのでドキドキしている)。

これがひたすら内向きに活動し続けたことで得られた感覚なのであれば、余裕ナシ子でいることも悪くなかったのかもしれない。
……と多少ポジティブに思えるのは、新年だからかな。


しかしながら。

これから先、飛び抜けておもしろいものをつくるのには、また何重もの壁がある。その壁を超えるためには、ただコツコツと原稿に向かい合うだけじゃ足りないという確信もある。

なんとも抽象的なんだけども、
深めるんじゃなくて枠を拡げなければ、という感覚。
自分の直感を信じてどん欲かつ正直になるしか道はないぞ、という感覚。
そのために必要なのが「わがままになること」だ、という感覚。

「2019年はわがままになるよ!」と宣言したら、夫は戦々恐々とするだろうか。でも申し訳ない、わがままになろうと決めている。主観で突き進もうと決めている。忖度と我慢、逡巡、あと倹約もやめます。

だって、仕事も子育ても夫婦関係もお金も、小さくまとまることが回り回って自分の首を絞めていく気がするからさ。ラフさと努力とユーモアで、よき2019年にしたい。

ちなみに、お正月に日本酒片手につらつら述べた、主に仕事に関する願望(のごく一部)はこんな感じ。

大きく売れる本をつくりたい。自著出したい。インタビューさらに磨きたい。仕事相手とはチームメイトとして濃く関わってわいわい働きたい。本とかウェブとかメディアとか関係なく編集の仕事を増やしたい。いろんな人と会いたい。自分の得意なことで好きな人をサポートしたい。いままでの延長線で満足したくないし、勢いのある1年にしたい。

……こんなふうに無限にアドレナリンを出せるのが新年のいいところ、なんだよねえ。


この所信表明的なnoteを今年の年末に読んだら、どう思うだろうか。そっと閉じたくなるような1年にはしたくないな。

今年もわたしのnoteを、どうぞよろしくお願いいたします。

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