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いま、あなたはどんな種類の努力をしているか

あなたはいま、なにかに精一杯努力していますか?
今日、なんらかの努力をしましたか?

………と聞かれたら、みんなどのように答えるだろう。

ご近所さんでもあるライターのマリエが、ツイッターでこんなことを書いていた。

これを目にして、「すごいな」と思った。コツコツ努力してるって堂々と言える、そんな生活を送ってることが。えらいよすごいよマリエ、と。そして、自分はどうだろうと考えた。

まず、わたしは人生でいつどのように努力していただろうと振り返る。
たとえば毎日のピアノの練習。たとえば受験勉強。たとえば営業時代、ノルマが課せられたフェアの受注。たとえば本一冊をつくりあげるとき。
こういった「努力」は覚えている。わかりやすく、ちゃんとがんばっていた。

じゃあ、昨日、1週間前、1ヶ月前、努力して生きていたか? ………と言われると、「ぎくり」としてしまうのだ。

なんというか、筋トレのような努力、あとで効いてくる努力、自分を高めるためのコツコツしたがんばりに欠けていたのではないか、と。あたらしいチャレンジや勉強といった、未来の自分に「よくやった」と褒められるようなアクションに乏しかったんじゃないか、と。きっとマリエは、そんな努力を積み重ねている。

もちろん目の前の原稿に対しては、少しでもいいものにしようと全力で努めている。読み手に伝わる原稿、感動したりよろこんだりしてもらえる仕事になるようギリギリまで粘っている。
でも、うーん、それは当たり前のことで「コツコツ努力」とは言えない気がするし。

——ライターや編集者にとっての努力ってなんだろうね? わたし、努力できてなくて焦るよ。

そう夫にこぼすと、こんなふうに返ってきた。

「わかるよ。でも、仕事をしながら生活を回して、無事に娘ちゃんを育てるって努力してると思う。いまは、『維持するため』にがんばらなきゃいけないときだからさ」

ああ、なるほど。たしかにそうかもなあ。

たとえば水中で「がんばり」を発揮したとして、クロールのようにわかりやすく前に進む人もいれば、同じ場所にとどまり、水面から顔を出し続けるだけの人もいるだろう。後者は一見なにもしていないようだけど、水面下ではめちゃめちゃ動き続けている。

わたしが「がんばれてない」と思ったのはぐんぐん前に進むための努力ができていなかったからで、でも、じつはぷかぷかと息をするために必死でがんばっていると言えるのかもしれない。「努力」にはきっと、いろいろなかたちがある。

まあ、自称・自分にスーパー甘い夫なので、
「なんてったって娘ちゃんがうまれて1年、生活が激変してたった1年だよ! がんばってるよおれたち!」
とポジティブに捉えられるのかもしれないけど。

ながーい人生、そういうときもあるさと、あまり深刻にならなくてもいいのかなと思ったのだった。もっともっとがんばりたい気持ちもあるけどね。

とりあえず今日のわたしは、目の前の仕事に全力で打ち込むことと家族でたのしく生活することを、がんばろう。


余談だけど、わたしがこのnoteを書いている間、夫が離乳食をつくり、食べさせ、びぇんびぇん泣く娘を押さえて歯磨きまで済ませてくれた。

うん、がんばってる、のかもしれないね。

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