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すてきな人は、上手に褒められる

うまく褒められたい、と思っている。

たとえば、中学時代にありがちなこんなやりとり。

A「○○ちゃん、かわいい〜」
B「そんなことないよー、デブだし。▲▲ちゃんスタイルよくってうらやましい」
A「いやいや、ぜんぜんだよ〜」

・・・・これ、非常に不毛なのだけど、往々にしてAちゃんはBちゃんの「そんなことない、あなたのほうが」という返し待ちの発言であることが多い。だからここで「ありがとう」と受け入れると、微妙な空気が流れたりする(実際「あいつ、かわいいって言ったら否定しなかったんだけどー」という理不尽極まりない悪口を聞いたことがあって、衝撃的すぎていまだに覚えている)。

こういう「謙遜という名の下げ」を経験することは、たくさんあった。たとえば知り合いのおばさんに「裕子ちゃんは自慢の娘でしょう」と褒められた母に、「いえいえ、あんなこともできないしこんなこともできないし・・・・」と否定されまくったり。最近は死語になってきているけれど、「愚妻」という言葉もこのひとつだ。

こういう経験を、言葉を、少しずつ少しずつ積み重ねてきた人生は「褒められること」が下手になってしまう。褒めてもらったときについ自分や家族を下げて笑いに変えてしまったり、必要以上に「いやいやぜんぜんです」と卑下してしまったり・・・・。

でも、大人になってふと気づいた。中学生ガールと違って、褒めてくれる人は謙遜や否定、「自分下げ」なんて求めてないんだよなあ、と。
少なくともわたしの周りの気持ちのいい人は、純粋に「いいね!」という気持ちを伝えてくれる。仕事であれば「すごくいい原稿だった!」と、家族のことなら「かわいい娘さんですね!」と、ただただポジティブな気持ちを共有するためにコメントしてくれる。

そして同時に、わたしの思う「すてきな人」は褒められ上手だ。褒めてもらったときに「ありがとう!」とにっこりできる。「こんなふうに褒めてもらったよー!」とまっすぐによろこべる。

わたしは大人になってから、褒められたときにまっすぐ「ありがとう!」と言うと気持ちいい、ということを知った。天真爛漫な交友関係だったとか、親が必要以上に謙遜しなかったとか、「いい育ち方」をしてきた人にとってはなんてことないことかもしれない。

けれど、残念ながらそう育ってこなかったわたしでも、「ありがとう!」とにっこりするのは意志でできるのだ。

さて、なんでこんなことを書いたかというと。

こんなにたくさん、ポジティブなことを惜しみなく書いてもらえたから。面映ゆいけれどとてもうれしい。「まだまだ未熟ですが」なんて言わず、「ありがとうございます!」と言いたいんです。

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