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看護師としてこうあるべきと決めつけて、自分がどうしたいかを見失っていた。

このご時世、職業看護師というと「今大変でしょ?」とやたらと労われますが、私は高齢者施設で働く看護師です。対象者は患者ではなく、比較的元気な高齢者です。常にウイルスを媒介しないように気を使いますが、現時点で私が働く施設では隔離室や防護服などは一才必要がない状態です。本当にありがたいことに。

施設に勤めてもうすぐ1年になりますが、雇用形態としてはパートです。そして週休3日です。まだ30歳手前の独身女が、週休3日なんて楽しすぎ!とか経済的に大丈夫?という声も聞こえてきますが、現時点で私はまだまだ働き方を模索中というのが正直なところです。

以前は6年間総合病院に正社員で勤めていました。当時は、結婚するまでは正社員で看護師としての経験を積まなければいけないと漠然と考えていました。そんな私が働き方を模索するに至ったのには、あるきっかけがありました。

こうあるべきを押し付けて気がついたらICUにいた

新卒で総合病院に勤め、以降6年間で整形外科病棟、内科病棟、ICU(集中治療室)を経験しました。6年のうちに2回部署移動をしているのが多いのかは分かりませんが、全て私の希望したものです。

新人の頃に配属になった整形外科病棟は病気ではなく怪我が原因で入院される方がほとんどです。怪我の治癒に向けて治療の中にも希望を見出すことができるため、患者とのコミニュケーションも楽しくやりがいを持って仕事をしていました。ただ「整形病棟では看護師に必要な知識や技術が十分身につかない」と、先輩からも言われてきましたし、自分でもそう思っていました。

今思えばこの言葉が私の中で呪縛となっていました。若いうちに十分な知識や技術を身につけなければいけないと思い、2回の部署移動を経てICUに辿り着きました。

看護師としてではなく、自分はどうしたいか

ICU移動直後は医療機器や薬の管理、患者の病態など考えなければいけないことが多すぎて精一杯でした。それでも、看護師として新しい情報を取り入れていくことが嬉しかったのを覚えています。

ある程度仕事をこなせるようになると、ふと気がつきました。医療機器を繋ぐことで命を留めている患者を目の前に、無表情の自分が立っています。患者との会話がない代わりに響くアラーム音に、神経ばかりがすり減っていく日々でした。

「私は何がしたかったんだっけ?」

1年目の時には感じることのできていた、楽しさややりがいといった気持ちは綺麗さっぱり消えていました。残ったのは「看護師としてこうあるべき」という義務感だけでした……
もちろん、人の役に立つ尊い仕事だとは思いますが、私生活でも友人に「表情が暗い」と言われてしまうほど当時の私にはやりがいを見いだせない状況でした。

架空の看護師像を押し付けて、自分はどうしたいのか?に焦点を当てずに過ごしていたことに気がつきました。見失った自分はなかなか帰ってきません。

自分のペースで自分に合った働き方を

自分はどうしたいのかと考えた時に一番に出た答えは「夜勤はしたくない」でした。夜勤をしないのは経済面で不安がありましたが、夜勤をするたびに肌が荒れ、生活リズムも乱れるため私にとって確実にストレスの発端となっていました。病棟勤務での夜勤は必須になるので病棟で働くという選択肢はなくなりました。

私はいま、違ったキャリアの勉強にも取り組みながら、今ある看護師というキャリアを生かして高齢者施設で働いています。医療からは少しだけ離れていますが、違った視野からの発見があり日々勉強になることばかりです。

誰に何を言われた訳でもありませんが、第一線で頑張っている元同僚に申し訳ない気持ちを抱いてしまう自分もいます。ただ私は、自分のペースで自分に合った働き方を、これからも模索していきたいと思います。

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