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礎(いしずえ)

大学時代、とある教授の授業は必死に聴かねばならなかった。海外の最先端の論文を解説していたので、図書館や書店で専門書の該当箇所を見ても、「現在解明中である」としか書かれていない。おまけに、語りは日本語だったが、板書はすべて英語だった。必死に成らざるを得ない。

それでも、その分野にとても興味を持った私は、4年生で卒業研究室を選ぶ時にその教授の研究室にした。

「お金が無いと、いい研究が出来ない。でも、いい研究をしないとお金が入ってこない」と言っていたその人はしかし、研究の為の実験動物を研究室で繁殖させて、その分のコストを削減。

さらにそのプロセスを論文にし、大学内教職員向けの論文コンテストに応募。
見事グランプリとなり、賞金まで得ていた。

一方で、試薬類に関しては一番高いメーカーのものを購入していた。
それは、研究室外から「ブランド好き」と揶揄される程のもので、その真意を聞いたところ、「正しくない実験結果が出る可能性を少しでも排除して、研究を遅らせたくない」ということだった。

もちろん安くても、きちんと試薬として流通している訳で、この発言が妥当なのかは今もって分からない。単なる偏見という可能性もあるだろう。

けれど、その世界では「当たり前」とされている事に倣うのではなく、自身の考える「いい研究」の為に、お金を遣うべきところに使い、節約する所はする。首尾一貫したその行動を、私は社会人となる前に目の当たりにした。

***

【仕事とは何か、お金とは何か】

不惑と言われる歳を幾つか過ぎ、こんな事に思いを馳せる時、脳裏に浮かぶのはあの教授の在り方だ。

20代前半、大学の学舎でこんな出会いがあった事は本当に幸運だった。
今になって、しみじみそう思う。

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