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気がついたら市役所の臨時職員

僕の仕事は祭りの自転車置き場の管理でした

カンテの夢をよく見る。もう何年も前から。一番多いのは倉庫が出て来る夢。夢の中で何をしていたのかは、朝起きたら忘れているけど。

僕は倉庫が好きだ。印刷会社に3年弱働いていたけど、営業職のくせにやっぱり一番好きだったのは、今まで手がけた印刷物を仕舞っておく倉庫だった。会社によくあるようなスチール棚に、バックナンバー通りに整理整頓する。得意先に「昔の印刷物が○部欲しい」と言われたら、すぐに納品できるようにしておく為だ。しかし、上司には「そんなことしないで、営業をしろ!」と叱られた。当たり前だ。

それと同じで、カンテでも、紅茶の倉庫、喫茶の備品の倉庫、あるいは服の倉庫に一人で入って、長時間、スチール棚を自分が使いやすい高さに付け替えたり、段ボール箱を使って仕分けしたり。かといって、在庫がどれぐらいあるかを正確にチェックすることは嫌いなので、けっこうアバウトに覚えるだけ。片付け出したら止まらない。ストローはここ、ポットはここ、ケーキの箱はここ。

以前の会社と同じく、紅茶も服も自ら営業に出掛けて仕事を取ってくることはしなかった。ルートセールスというスタイル。「お茶の卸とかされていますか?」と問い合わせが来ると熱心に答えはするけど、「これなんかどうですか?」とは言わない。訊かれたことに関しては丁寧に教えるけど、それ以上商品を勧めない。

だから、紅茶や服の卸は増えなかった。来る客に誠実に応えるだけ。

カンテを辞める1年前に会社の体制が変わり、僕は大阪のグランフロント店の店長に任命された。僕の本質を知らない上司が、ただ単に33年間カンテで働いていたから何でも出来るだろうという勝手な想像だけで、僕を喫茶の最前線に送り出した。人を使うことも料理もできない人間に店を任せるなんて、無謀もいいとこだった。マニュアルを見ながら料理は作ったけど自信がなかった。案の定、10ヶ月で僕はギブアップし、「職場を変えて欲しい」と言ったら「君の望んでいるような職場はカンテには無い」と言われ、「じゃあ、辞めます」ということになった。

まあ、ちょうどその頃僕は、やりたいことをし尽くしてカンテで働くことに煮詰まっていたし、グランフロント店でも僕の居場所はなかったから、却って辞められてよかったような気がしてきた。

辞めてからハローワークに通って仕事を捜していたら、豊中市の臨時職員の募集があった。「文化芸術課 職員1名募集 週4日 1日7時間 契約期間1年半」。

「文化芸術課」って何するんだろう?家から自転車で通勤できる距離だったので電話で応募したら、「明日面接に来てください。」と言われ、ヒゲを生やしているからダメかもしれないと思ったけど、すんなり通った。一番乗りだったらしく、すぐにでも人手が欲しかったみたいだし、それに肉体労働ができそうに見えたらしい。仕事の内容は「豊中市が主催する『豊中まつり』や『文化祭』の現場要員」だったし、「パソコンもできます」というのが良かったのかな。

喫茶店から市役所へ。何が起こるか分からないから、人生って面白い。ユニクロでスラックスとシャツを買い、毎朝朝礼をし、上司と一緒に豊中市内を車で移動したり、無料のクラシックコンサートの応募者の名簿を作ったり、抽選に立ち会ったり、コンサートホールに出向いて受付をしたり、お祭りの旗を立てたり、駐輪場(学校の運動場)で一日ぼ~っと自転車の管理をしたり、地域の文化祭の裏方をしたり、けっこう楽しかった。

丁度そのころ、「チャイの旅」の依頼が来て、原稿を書くのにちょうどいい時間があったし、出版とともに臨時職員を退職した。出来すぎてるな、僕の運命。(笑)

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