見出し画像

さて田圃さんとは一体何者?〜おでけけおでけけ編〜

鼻がグシュグシュします、皆さんは大丈夫でしょうか・・・・・・
なかなか大変でクスリでドーピングしてるんですが、飲むタイミング逃すと割と眼の前がキラキラしてきます。
どうも田圃さんです。
さて田圃さん半生記の続きなわけですが、書くのを忘れるとボチボチに五月病的な何かにやられる気がしてきております。
やはり継続はチカラ。
妄想しながら当時の事を少しずつ思い出しつつ面白おかしく描いていく感じです。
プロット的には青年期編とか思い出すとなかなかのアレなネタはそれなりに持ってますし、まぁこんな人ですから聖人君子とはなんじゃいなと言うわけで。
マクラのネタも捻り出すと面白くなりますが脳内で紙を丸めたりもう一度拡げなおしたり、そんな事ばかりやっております。
プロの作家さんも絵を描く方もそんな感じなのでしょう。
編集さんとバチバチしたり改稿したり、そう考えると凄いものです。
取材とかやって上手く記事にして扱うって大変なんですねぇ。

・・・・・おや、ここまで来ちゃったか。
まぁそんなわけで田圃さん半生記の続きでございます。



さて、前回は今の我が家へ引っ越したところでしたかね。
周りを山に囲まれて色々なモノがあり、という感じでした。
ちょうど爺様の家ではイヌやネコがわんさかとおりまして、お子様の田圃さん、ナデナデしたりイヌに警戒されて吠えられたり、ネコも戯れてきてやり過ぎて噛まれたり・・・・・・・
従姉妹連中もそんな中でちっこいお子様の男の子は僕1人でしたから色々と遊びのネタにされたりしておりました。
当時のリカちゃん遊びやファミコン、山の中に分け入ったり沢で水遊びしたり田圃さん中心で戦隊ポーズの練習したりとそれはもう・・・・・
リカちゃん遊びの時はぱんつ脱がしたり裏返したりした事もありましたねぇ・・・・・・

はい、割とお子様的に通る道であろうと思うのですが、皆さんだといかがでしたでしょうか。
そしてその当時の田圃さん、保育園へ通う事になります。
今でもそうなんですが、この保育園、園費が当時町役場封筒で流れてきていたのを思い出します。
で、気になってオッサンの田圃さん、調べてみてたらなるほど社会福祉法人で登記してた様で、町と協力してやっていた様です。
今のご時世その辺り色々ツッコミ受けそうでしょうし、突かれたらどえらい話かもしれません。
当時の我が町での保育園と幼稚園の数は保育園が二つに幼稚園が二つ。
今は幼稚園が一つ閉園となり、ソーラーパネルが立ち並ぶ哀しい風景となっておりますが、考えてみたら収入減でヒーコラするよりは良かったのかもしれません。
で、田圃さんの通っていた保育園。
どうも理事長さんがいらっしゃり毎度月曜日にありがたいお話を聴きながらご礼拝です。
まぁその理事長さんはお子様が好きだったのでしょう、渋沢栄一の青い眼の人形よろしくな写真を理想像にしてたのかもしれません。
福音派とはなんぞやとか平易な感じで講話とかしている訳ですが、お子様の田圃さん的にはクルマやバスが面白くて割とどうでも良かったりしてました(笑)
卒園式の贈呈品が新約聖書の簡易版ですからね、今思えばホテルでも置かないでしょうと。
そしてそんな保育園では同級生の親父さんがバスの運転手してたり、田圃さんはやらかしまくりで保育士の先生に叱られたりで廊下に立たされるかと思えば田圃さん廊下で当時見ていたアニメ版聖闘士星矢の影響か座禅組んだりとまぁやりたい放題の手の付けづらいエッジの効いた保育園時代を過ごします。

・・・・・・たぶん今の冷静になった田圃さんなら自分をシバき倒してそうです、横道逸れまくりですねぇ・・・・・

さて、そんな田圃さん、家族でお出かけする事になりました。
オヤジ殿が行こうとしていたのは当時の東京モーターショー。
記憶が確かなら27回です、晴海の展示場の最後であり、コミケなら会場で雲が出来た伝説の頃かと思われます。


記憶として覚えているのは、当時発刊の「たのしい幼稚園」で掲載されていたモーターショーの記事。
そこでは出展されているコンセプトカーが煌びやかに写されています。
それを見て連れて行こうとしてくれたのでしょう、お出かけに田圃さん大はしゃぎです。
初めて乗る新幹線、緑色の上越新幹線です、当時は上野駅までの路線でしたから乗り換えて東京駅まで。
迷子にならない様しっかりとオヤジ殿とオフクロ殿と抱えた妹と一緒に歩き、東京駅でのシャトルバスへ。
当時の出展車輌と言えば、トヨタが後に発売するセラの前身と言われるAXV-Ⅱ、日産ならパオとエスカルゴ、いすゞならトラックブースと乗用車ブースで分かれておりトラックブースでは810のダカールラリーにでも出そうなコンセプトがあったりと言った具合に日本車のヴィンテージイヤーでもある時期で、そんな最中にモーターショーへ行ったお子様の田圃さん、拗らせない方が無理と言いましょうか、後に周りから「お前幾つやねん」と言う年齢詐称疑惑を掛けられてしまうキッカケになったのかもしれないと思うと凄い事だったなぁと。
この時期に各種洗礼を受けた方々が後に日本のモーターカルチャーを作り上げて行ったと考えると、自分もその一助になれているのかもしれませんね。

さてモーターショーでウハウハの田圃さん、出展車輌をおねいさんを退けてまじまじと見たり、カタログを貰いに行ったりと今の田圃さんもだいたい同じ事をしており、三つ子の魂百までとはよく言ったモノで、もうこの頃に拗らせた魂は火が灯りっぱなしで燃料を焚べれば山火事でも起こすんじゃねーかとすら思う程にド変態の道を辿っておりました。
傍目にはお子様がキラキラした眼で見ている様に見えますが、中身は年季の入った職人みたいなクルマの覗き方をしていた様で、たぶん両親相当疲れたのかもしれません。
さて、自動車ガイドブックという書籍がございます。

自動車工業会が年一発行している国産車メインの雑誌なのですが、お子様の田圃さん、コレ買って!!ってねだったそうです。
皆さん、お子様がこんなのねだりますかね・・・・・・・?
当時のお子様の田圃さん、相当嬉しかったのでしょう、穴が開くほど読みまくり、与えられた本棚も当時の雑誌やこども向けの本、その中に自動車ガイドブックや自動車雑誌と雑多な中に朝刊の新聞を読んで文字を覚えたり書いてみたり、更に楽しくなってデパートに連れられて行くと玩具コーナーや本屋でひたすらミニカーや模型や自動車雑誌など穴が開くほど眺めまくって、親の買い物が終わる頃に来てみると、まだそこに居着いており手のかからない・・・・・のでしょうか、明らかにエッジ効いた変なヤツに育って行きました。
コレだけで保育園時代が終わっておらず自分でもよくこんなネタ思い出せてるなぁと思う次第で、間違いなくシューベルトの音楽の泉が湧きすぎて早死にするんじゃないかと言うくらいに記憶が蘇って来るのですから怖くもなってきますね・・・・・・・

とまぁ、こんな感じでお子様の田圃さんは卒園まで近くなってきます。
次回は卒園から小学生になるまでのお話でも出来たらと思っております。

しかし思うのですが、面白いのかなぁ・・・・・・
話すとなれば日が暮れてから翌朝まで耐久チャレンジとかも問題ないんですけど、お読みいただける皆さんのおかげでこうして続けられていると思います。
ホントありがとうございます。
次回も楽しみにお待ちくださいね♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?