能登地震の備忘録

2024/1/1に帰郷した金沢で被災した能登地震の備忘録
溜まっていたことを吐き出す駄文

=1/1地震前=
親の調子が悪くなっていたこともあり正月に金沢北部へ帰郷、兄宅に厄介になる(親も同居)。この際に親用にdiyやるつもりでドリル工具類も持っていく。1/1 9時に雑煮を喰ってダラダラとしていたが親がどうしても初詣に行きたいと言い出し、私と長兄と親の3名で車により神社へ、時に15:50。

=1/1 16:00 地震発生=
神社についたときに私のスマホがぴろぴろ鳴り出して大阪で震度1、なーんだと思ってよく読むと能登で震度5?えらいこっちゃとっとと初詣済まちまおうと話しつつ階段を登ると境内の皆さん一斉にぴろぴろとなったと思うと、2018年の大阪府北部地震より強烈な揺れが始まる。眼の前の石灯籠が踊り初め「向き的に倒れても大丈夫だろう大丈夫であってくれ」と思いつつ親を庇えるように身構えてるうちに杉の枝が降ってきたり後ろの鳥居も壊れ初めて揺れが収まる。震度5強だったが、軟弱地盤なためか30秒の揺れであったか+1.5ぐらいには感じた。親のこともあり家に車で急行。「海岸からは遠い、川の河口も河北潟だし津波は大丈夫だろう、だけど湿地帯な在所は本当に大丈夫?」と思いながら大阪のマンション管理人に大阪の状況確認とこちらは無事なlineを送信、返信読むと大阪は大丈夫そう。幸運なことに車道は通行できたが歩道が結構ボコボコで一部水を吹いている。途中で東京の次兄から確認のlineが入ってきたが長兄が無事を返信。

踊る大燈籠線

=1/1帰宅=
兄宅につくと親を車に残し兄宅の回りを見て回る。外壁や敷地には大きな大きな問題なさそう。屋根瓦が怪しいが致命傷はなさそう。会社に無事のTeamsを送りついでに同僚にline送って部長室長に無事を伝えてと伝言。金沢の知り合いにも無事のlineを送る。兄宅に入ると震度の割にはマシであったが入口の大瓶が割れていたり神棚とテレビが落っこちていて、下棚の食器が落ちて割れていた。上棚のビールジョッキは何故落ちない?2Fの兄部屋の本棚は倒れて壊滅しており生活不可。ガスはプロパンであるが破損を警戒、、、匂いは感じないので無事だろう多分、着火はできるが使わないときは元栓を閉める。電気もついてテレビも見れる。テレビは津波経過来高台逃げろを連呼、間間に流れる能登有料道路(今はのと里山道路か)のボコボコさを見て奥能登には行けないだろうと思う。水は出るが流量が怪しい、帰り道の水吹きが原因?2時間かけて家屋に入れることを確認して余震で落ちたら危険そうなものをおろして動線確保、親を部屋にいれる。親は地震の実感が薄そう。寒いというが余震対策で石油ストーブ禁止を厳命、電気が生きていたのでエアコン全開。この頃に部長から返信が帰ってきており、金沢が落ち着くまで帰ってこなくてよしとの連絡。阪神震災経験者はありがたい。飯を炊き、親にトーストを食わして長兄と代わる代わるモチを摂取。テレビでは金沢の造成地が崩れてサイコロみたいに転がった家や液状化した砂丘地の内灘町、ガタガタな七尾や能登有料道路の画像が流れる。七尾でこれなら震源に近い穴水や奥能登は?と思っていると奥能登からという家屋が燃えている映像。金沢近辺知り合いlineを見ると野々市より南は被害少なそう。近所出身の馳浩知事が年賀挨拶で東京にいて首相官邸に突貫即時自衛隊要請。地元じゃ人気温度差激しい知事だけど、アスリート上がりで無闇に行動力はある。

=1/1近所=
生の情報が欲しく、知り合いが営む近所のコンビニに行くと広い駐車場が車で一杯で家族アルバイト総出で対応中。客も多いが避難で出てきた方も多数。知り合いと話すと外環状線が崩れているとの話(本当は外環状線手前の稲置学園から住宅地に向かう道だった)パンと2L水・お茶と弁当は売り切れだったがその他は残っていた。兄宅に帰ると親が明日中断していた初詣をしたいと言い出している。説得材料と周辺状況を知りたく近所周辺を歩く。神社は石灯籠や鳥居はロープ張っていたが入り込むことは可能。本殿や裏山は意外と被害がなさそう。マンホールや歩道が結構陥没しており、兄宅近所道路も結構陥没。中学校に行くと避難所が開設されていたが市の職員がいるというわけではなく、有志(1~3名)がてんてこ舞いで暖房を出していた。食料は見当たらない。トイレが近く介添えが必要な親はとてもじゃないが無理と判断し帰宅、神社のロープ張られた写真を見せて親を説得する。

=1/1コタツ着陸=
本格的に腰を下ろすことができTwitterXを見るといろんな情報が飛び回っており、読売新聞発信のキレイに倒れた輪島のビルの写真が出回っている。こんなにキレイに倒れるわけ無いやろと思っていたら後に本物と判明。21時頃直属上司から安否確認のショートメールが来る、、、えらい時間がかかった返信、混信による遅れと思いたい。断続的に続く余震、力尽きる長兄、普段通りの認識?ながら回りが騒がしいので興奮気味な親、緊急事態対応のためとてもじゃないが寝ることができずジャケット着て携帯モバイルバッテリ突っ込み何時でも飛び出せる状態で一夜を明かす

=1/2夜中というか早朝=
眠れないんで色々考えていると行政書類どうなる?と金沢市HP閲覧。HPは災害モードになっており、り災証明書項目もトップに上ってきている。申込みは1/3より。電車は全休、大阪行きのサンダーバードも北陸新幹線もいつ復旧かわからず。大阪には帰ることできない。広島の呉でおおすみ級揚陸艦が出動準備中、舞鶴のひゅうがヘリコプター護衛艦や第3護衛隊群の動きは少ない?空が明けてきた頃、親の寝室でゴソゴソ音がしているので行くとドアから外を見ている。ヘリコプターがえらい低空で飛んでいく。「ドア、非常口だけど今の状態では勝手に親が外に出歩くほうがリスク?」と思う。親にトースト食わせ、家1Fのバタバタの掃除を始める。昨日「最低限」やっていたが今回は「暫定」対応。割れた瀬戸物やグチャグチャな玄関を整理。間に会社の大先輩に電話や後輩(営業)に弊社社員が金沢にいないか確認メール。アチキもそれなりに参っていたので客観的な状況の人と話したかった。

地震の地獄を見てきた者だ 面構えが違う

=1/2被害対策=
外で話していると、なんか昨日より道路の穴が増えているような気がする?長兄に家前の車を移動するように指示。穴についてご近所さんと話していると長兄宅の屋根を上から写した写真をもらえた。致命傷じゃないが防水が怪しいレベル。おまけに明日から雨模様な天気予報。ブルーシートは無いし、何より素人が屋根に登るのはアチキ絶対反対、どうしてもと言うならまだ日常で設備業務やってるアチキ対応を表明。そろより地震で本棚が崩れている2Fにビニルシートなければ大きいゴミ袋を敷き詰めて1F漏水防げを提案。本当はガソリン供給も怪しいので乗ってほしくなかったが、ホームセンターへ資材購入のため走らせる。案の定防水ブルーシートは品切れ。台風21号の経験から自転車が便利なので納屋に取りに行くとムシがだめになっていて使い物にならず。あとほのかに甘い香り、2階で梅酒が割れているみたいだが安全策を取って2階には登らず。親が興奮、「非常事態」が起きたと認識はできているらしいく昔消防分団やっていた血が騒いでいるらしい。外に出たがる。陥没や余震の危険があったが、見せたほうが落ち着くと思い二人で介添えしつつ近所を散歩。

歩けば突き当たる穴ぼこ

=1/2少し寝転がるが=
昼過ぎ、30分横にさせてを宣言(出来て15分かな?)5分で親と長兄の話し声に起こされる。二人落ち着かせるために一週間滞在することを宣言(実際この時点でサンダーバード止まってるし大阪に帰宅できない)実は兄はやんごとなき仕事で職場が七尾であるが、陥没隆起で街に近づけずこの時点で自宅待機となっていた。ある程度の状況改善で出社命令が下りそうであったので致し方ないと考えていた。そういや私も関わってるプロジェクトの問題で一週間後に帰らないと不味いと気がつく。まあなんとかなるだろう(なんとかなってなかった一年引きずる事に、、、)

=1/2被害の 書き出し=
3人集まって長兄にチラシ裏に現状の問題点を書き出させる。ブレインストーミング前提で否定論は禁止。状況としては 
①避難必要なし 
(いや親の調子が悪いから「できない」なんだけど言わない)
②屋根瓦がズレていて雨漏りの可能性あり
・瓦屋に連絡ついたがいつ来るかわからない
・1Fへの雨漏りを防ぐために2Fにシートを敷く
③り災証明書取得のための予約を明日行う
④親ベット上の書籍を新たな本棚に移す
⑤神棚は当面下ろす
⑥納屋その2は後回しとなった.
この頃から炊事を担当し始める。

=1/2滑走路が燃えている=
なんとか晩飯に突入しようとしていたところ、テレビで滑走路が燃えている。「能登空港の燃料タンクが燃えている?」と思ったら羽田空港だった。震災対応で羽田空港離陸中の海保機にJAL機が突っ込んだ、、、全くワケガワカラナイヨ。
もう寝るっ、、、寝ることができないんだよ睡眠薬飲んでも。だから艦これを始める(業)

=1/3=
寝たんだか起きてるんだかで3日、ああ三ヶ日もこれで終わり、近所のスーパーに行ってみる。日常物資の大幅な歯抜け・欠乏は感じないレベルであるが、近所は未だ断水多くペットボトル水は販売制限。されど金沢市内は生活が出来るレベルになりつつあった。地震対策で親のベット横の本棚から本を下ろしたら親がご立腹。状況を説明して新しい本棚を急遽準備。持っててよかったdiy道具。
なんと瓦屋が来てくれることになった。流石に屋根修理はできなかったがシートで応急処置対応。しかし北陸の瓦は雪対策で重い。これが今回の地震による倒壊の原因の一つ?あとこの頃になると金沢のデイサービスも対応する目処が立ってきたようだ。

1周間雨降らなくて良かった

=1/4=
この頃になると余震も小さくなり、余裕が出てきた。SNS見ると、初動が遅い輪島にもっと人お送り込め、自衛隊は空挺降下させろとか無茶な話が流れている。いや中央幹線が壊滅してるのに丘陵地帯の奥能登にどうやって人を送り込む。船舶情報アプリを見ていると能登半島沖にOHSUMIの表示。海上自衛隊のおおすみが広島の呉からやってきた。しかし京都舞鶴のひゅうがは動かないのか。

希望の光り

=1/5=
父が外に出ようとする。体が弱っていて転けやすい・転けたら起き上がれないのコンボなのに困ったもんだ。
と思ったら救世主、白山市に住むおじさん(父の兄)が様子見にやってくる。父が言うことを聞く数少ない御仁。正直、父の蠢動で私や兄は大分参っていたのでありがたい。2時間ほどだったけど大分気が休まった。あとホントだったら会社の初荷式で私しか知らない準備内容があったが、電話とTeamsでなんとか対応。

=1/6=
おじさんがやってくる。墓をなんとかしたいとの事であったので、ビニールシートとロープを持って急行。我が家の墓は問題なかったが、本家の墓が一部割れている。ビニールシートでぐるぐる巻にしてロープで固定。本家、ややこしい。墓守を誰がやるか決めてない可能性が大。法律的には明確に墓守に関する規定が無いみたい。おじさん曰く、寺に分骨してるらしい。私の主張
 ①ご先祖様は寺に移してある
 ②本家の墓は本家が主導で直すべき
 ③本家に対して墓が壊れているという連絡のみ
 ④本家が動かずに分家だけで直せと言っても①で墓終いを勧める
その後は再度世間話。金沢北隣の砂丘地帯の親戚はとりあえず無事らしい。されど街は液状化でぐちゃぐちゃらしい。
午後に兄と父親が免許返納のために免許センターに行く(そこまで金沢・河北は平常状況)
夕方に市の水道局の方々が見に来て、日が落ちてから重機で穴を埋めていく。

ご苦労さまです

=1/7=
明日帰宅のため、兄宅や土地をグルーと見て回る。やはりところどころ痛みが見受けられる。こりゃ保険降りるとしても現ナマ必要だけど大丈夫だろうか(後日父の財産を調べたら問題なかった)七尾まで仮開通したらしい。お疲れ様です。どうも報道やSNS見てると県外・北陸で温度差がある。帰っても激高しないように気をつけよう。

=1/8=
おじさんが当面顔を出してくれるらしいので上方へ帰還。
おじさん、介護士の資格を持っているらしい。
なにこのスーパーマン。
金沢駅もところどころ傷んでいたが、平常運転。
サンダーバードも金沢までは平常運転。
かといって北陸が平常運転というわけではない。
色々思い残すことはあるがサンダーバードで大阪へ【完了】

Thunderbirds a go

=色々思うところ=
森奥戦争をやり合っていた土地だから決して自民党主流一辺倒ではない。今回の地震、珍しく県民団結しようとしている状況で政治的色眼鏡や利用は辞めてほしい。
 馳浩知事は人気のある知事ではなかったが、今回の地震で石川県内での株は上がったのでは。
・復興が遅いと言っているが、東日本大震災でも半年経過時点で瓦礫撤去は道半ばだったような。

・正直、国には特別法やそこまでいかなくても配慮するガイドラインは作ってほしい。特に奥能登は過疎化から自治体の体力が無い。それをサポートする事をもっとやってほしい。元々自助が前提の土地であるから切羽詰まるまで住民は言わないと思う。
・海上自衛隊の大型艦が揚陸艦おおすみしか出てこなかったことに驚いた。ヘリコプター母艦ひゅうががいる舞鶴の艦艇群は動かすと
思っていた。例年の日本海は荒れるので危険といえば危険であるが、荒れれば金沢港や富山港に退避させれば良い。費用対効果が薄いと思われたのだろうか。
・長年思っていたが国は国土交通省や防衛省など災害対応を分散捺せ過ぎなのではないか。非常対応組織の立ち上げを期待する(権限与えないと画餅だけど)



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