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銀河の記憶 封印していた絵を描くということ。

怖れその先へ
https://note.mu/tanenomirai/n/n40774ccd5e4a
の続き


絵を描くということ


絵を描くことって実は、全く興味がないってっていうか
昔は絵を鑑賞するることも好きじゃないって思ってた。

だって有名な美術館に行っても退屈だったし、
美術の時間とか大嫌いだったし。



私には関係のない領域って感じがしてたのかな。

最近までも(いや、今もか)

この領域は、本当に素晴らしいからこそ

私ではなくて尊敬する人たちの領域って感じがあって。
だからそこはおまかせしますね。という敬意もあって。

私の担当する領域では到底ございません
みたいな。。


でそう思ってたのだけど

時がきて、

ある時、ふと私は気がついてしまった
絵を描くことへの恐れに。

私はよく、一人でいろんな色をノートにこれでもかと広げて、
色の広がる世界を楽しんでたりするのだけど、

自由に何かを、特に形ではなくて
色が広がって行く様とかぐるぐるした渦とか、自分の中にある何かを形にして描くってことには実はすごくワクワクしてて、
(そうスピリットダンスみたいに。)

それに大人になってからは大好きなアーティストまでもが出てきて
大好きな絵を描く人たちに初めて出会えたの。(大きな喜び)

大好きなアーティスト達が描かく世界観を見ている時、
全然飽きたりしない。

昔見た、有名な美術館の絵には何もときめかなかったけれど、
ものすごく心がときめく。

そして最近になって、絵を描くことに興味がないって思ってたけど、
実は強力に絵は描けないって思い込みが入ってることに、
実はダンスなんか比にならないくらいのトラウマがあるらしいってことに薄々気がつきはじめてしまったのだ。


なんでかといえば、その引き金を引いてくれる存在が現れてね、
私は一気に絵を描くってことにむきあうことになっていく。
そしてその奥にあるものへと。

という今いまNowなんです。


さて、
絵を描いてくださいって言われ時。あなたならどう思いますか?

私は絵を描いてくださいって言われた途端に(シチュエーションにももちろんよるんだけど、)
まずは、私は書けないよっていうのが反射的に出てくるし、
それが評価や、教えられるって環境だったり上手に描くってことが大切だったりする場合は、もうものすごくスイッチが入る


キーンってお腹が痛くなるくらい何かが作動する感じもあったり。

でももうずっと絵を描くってことからすっかり遠ざかっていたので(遠いポジションにいたので)

さらには、絵を描ける素敵な人たちが私の周りにはたくさんいて、
その人たちはみんなそれをお仕事にもしているプロフェショナルで、
さらに生き生きと描いている大好きな人たちだから、

私が何かを描く役割が回ってくるはずもないし、いい感じでサポートし合う関係になって行くので、
(それは本当に一つ素敵な関係性であることは間違いなくて)

ここ最近まで、本当 絵を描くことへの恐怖なんてことに
気がつきもせずにきたんだよね。


でもある時ね、
私がずっと観てきた美しい世界を自分で描けたらどんなに素敵なんだろう?って感じることが増えてきて、

そんな時、浮かぶのは、「あの完璧な美しい世界を私は絶対に描けない」ってことなの。

ってここで
え?? なんでそう頑なに思っているんだろう?ってことに気がついちゃった。。

基本私はね、できないことは何もないって思っているというか、
知っているから、

本当にやりたいことは全部できるって知ってるし、
実際できるようになってきたの。

でも、強い反応が出ている場所は大概が封印ポイント。
なんだけど、
絵を描くことに関しては本当にやりたいことではないって思ってたから
ここまではもうノーマーク領域。

ノーマークの時はなんの問題もないわけだけどね、
描いてみたいって気持ちが湧いてきた時に、

びっくりするくらいの恐怖も出てきて、
で、なぜか中学の時の美術室がね

その恐怖と一緒に毎回ビジョンで出てくるんようになったの。

一体中学時代に何があったんだ??笑

そしてこの振り返りをしながら、絵のことを感じて考えてたら
そういえば一番上のお姉ちゃんと私の父は
信じれないくらい絵が上手だったことを思い出してきた。

ものすごく個性的で生命の色を描いている人たちだと思ってて、

あーーそうだよ お姉ちゃんって美大?何かを出て
銀座の画廊に勤めていたんじゃなかったっけ??
絵が大好きで。

お姉ちゃんはアートが大好きなんだよねそうだった。 
思い出した。

うちのお姉ちゃんってすごく独創的でめっちゃアートな人だった。
父は、早くに亡くしているのだけど

鮮明にパパとの記憶が出てきた^^
それはある日、パパがりんごを目の前にして「志果りんごを描いてごらん」って言った という記憶



私がいくつくらいだったのかなぁ。ちょっと覚えてないんだけど
その時の私は、赤色一色で真っ赤にりんごを塗って
はいってパパに見せたの

なんて言われたかは忘れたけど、

パパがりんごをそのあと描いてくれて、
その時のりんごの色が本当に美しくてね

何色にもりんごの色が描かれていて

あぁあ 
すっごくすっごく嬉しくて、パパが大好きだなぁって思ったのを覚えてる。
私の中の大切な思い出。

本当のりんごの色、生命の色をパパは見てるんだって

そう感じたあのときは、
絵を描くことがものすごく美しい最高の贈り物に思えてた気がする。

それがいつどこで、どうなって絵を描くことがものすごく興味ないことになってしまったのだろうか。。

思い起こそうと思っても、

小学校の美術の記憶は皆無だしW
(そんなことってある??)



中学はその美術室とぺがさすの翼を描いたことだけを思い出せる


それがぺがさすの翼だってことは
誰にも理解してもらえなっかたのだけどw


高校の美術。。
これも記憶皆無

え、、、美術の先生のことすら思い出せない
いたのかな美術の先生って??
怖すぎるWW


こうやって記憶を辿ると、

美術も家庭科もダンスも数学も科学も体育もなんか学校に行って全部嫌いなカテゴリーになっちゃった気がするww

好きだったのは
国語と歴史と倫理と哲学と音楽

とかだったW

そう国語の世界は大好き
言葉の持つ美しさにまだ触れられたし
音楽も楽しかったなぁ
倫理と哲学もすっごく好きだった

完全文系コースだw

で国語の教員免許までとったし。

でも本当は、こんな学校のかカリキュラム制度がなければ

もっともっと宇宙のことと数学の世界が繋がってたと思うし

統合した全ての生命の世界をもっともっと学べる場所が学校なら

本当に最高だなって思う

考えてみたら、

私たちは何者か?
なんのため生まれてきてるのか?

って一番大切なことを学校で教えてないんだろう。

大人になってからやっと、自力で生命の流れを思い出し
その答えを探す旅に出て
銀河の記憶の源を思い出してる旅の途中


生命の流れの中をもう一度生きられるようになったら、

ダンスや舞は大地と天と繋がる方法だとわかるし、
料理に関しては、もう本当に生命のアートそのものだと感じてるし、
裁縫も大嫌いって思ってたけど、
今は洋服も染めも全部全部やりたいくて仕方ないものにナテッルし

興味が最大にもてなかった農業なんて

今ではスーパーエース級の
最も興味のあることになってるし、

人生何が起きるかわからない 本当にね。


話を絵を描くに戻すと

なぜか美術って言葉で、封印されてたトラウマの中で

絵を描くってところだけが置いてけぼりになっていたんだなぁぁ


きっと自由に描くこと
最も美しいアートが

評価や計量されるような
その世界にたえられなかったのと
そこまでの技術も情熱もそのときの私には
向けることができなっかんんだと思う

言葉の探求には学生の時からずっと入ってるもんなぁ

https://note.mu/tanenomirai/n/n9385ccccb1b8

へと続く




大切なあなたへ、、
私(たち)はここにいる きっと見つけてね・・
約束の場所で会おう

志果
Shunieka▷:◁Síochána
真実だけを表現し、生命を解き放つ。
愛と愛でないものを知り、愛のみを選択する
全てはイマココに。永遠の愛を想い出そう。


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