地獄は一定住みかぞかし 1

親鸞のことばで一番心にひびくのがこれです。日々、暮らしているときに起きていることどもをみていると、ほんとうにこのことばしか勝たん、と思うのです。

私たちは地獄に住んでいる。一人ひとりの地獄を生きている。
それについていい悪いの評価は必要ない。それが前提なのだということです。たぶん、政治というのはその現実の地獄をなんとか生きやすい場所に変えることが目的でしょう。
また宗教は、死んだあとで天国だか極楽だかを設定して、そこへいく道を教えるというかたちをとるのでしょう。なかには現世利益で、この地上を極楽に変えるんだというコンセプトの宗教もあるかもしれない。
死んだらおしまいやんか、生きているうちに極楽にしようぜ、というやつです。
いやいや天国も地獄もないんだよ、とうたったのはジョン・レノンでしたね。いろんな考えがある。人は自分好みの天国と地獄をえらべばいい。
私が「地獄は一定住みかぞかし」をえらんだように。

ウクライナも地獄だし、北朝鮮も地獄ですが、日本のニュースにもじゅうぶん地獄味があります。
今日はこれにふかく地獄をかんじました。

自分の好物だった母親のカレーを隣の家におすそ分けされたので激怒して、殴る蹴る土下座のあとで、包丁をわたして「死ねや」とののしったと。
78歳の母親は家の納屋にいき、首をくくって死にました。
朝になって、54歳の息子は母親が納屋でぶら下がっているのに気がつき、会社に電話します。
「母親が首をつっているので、今日は会社を休みます」
おどろいた会社の同僚が警察に知らせる、という流れだったらしい。
つっこみどころが満載ですが、徹頭徹尾地獄です。
石川県加賀市あたりは親鸞にもゆかりのある土地ではなかったかな。

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