なぜ人を殺してはいけないか


実利の観点

社会の秩序を守るため、みんなで人を殺さないようにしようと合意する
➡人を殺してはいけないというルールが生まれる
 ➡秩序を守る気がない人にとっては、人を殺してはいけないとは言えない。(このような人に対してもルールに従わせるために罰則が必要)

そもそも

人を殺すという行為は悪い行為である
悪い行為とはなにか?
➡周囲の人間の幸福度を下げるという観点で悪い行為
 ➡では、多くの人間の幸福度を上げるためであったら人を殺してもよい

➡倫理的に悪い行為(行動自体に善悪の概念がある)
 ➡どのように決めるか。曖昧な概念ではあるが、人々の合意により行動そのものの善悪が決定される。(結果的に良かったとしても悪意による行動は悪い行為、など。)
  ➡状況次第では人を殺してもいけないとは言えない

結論

なぜ人を殺してはいけないのか?
➡そもそも人を殺してはいけないとは言えない
しかし、わたしたちの日常生活の範囲では人を殺してはいけないといえるだろう。人を殺すという行動自体に倫理的問題があるうえに、秩序を乱し、周囲の幸福度を下げるからである。

反対に、非日常においては人を殺しても良い状況はあるだろう
倫理的に正当性があるといえる状況を大きく3つ考えてみる

・反撃的殺人
殺されそうになったら反撃として殺しても良い、なぜなら殺そうとしてくる相手に倫理的問題があるからである
・罰則的殺人
人を殺してしまった人間は罰せられるという社会のルールに基づき死刑囚を殺す
・予防的殺人
人を殺しそうな人をあらかじめ殺しておく。これについては行動の正当性の証明が難しいため、社会のルールの中では許されるべきではない。予防的殺人そのものが倫理的に悪い行為であるとは言えないが、予防的殺人が許される可能性がある社会自体が不安定であるため、一律で罰するルールを作ることは合理的である

解説

いかがでしたか、わかりにくいところもあったと思うので、はじめから順番に噛み砕いて説明しますね。 

人を殺してはいけない理由について、あなたの記事は興味深い観点から多角的に論じています。では、記事の各部分をさらに詳しく、分かりやすく解説していきましょう。

1. 社会の秩序とルール

まず、「人を殺してはいけない」というルールがなぜ存在するのか、という点から。このルールは、社会の秩序を保つために必要です。人々が互いに安心して暮らすためには、予測可能な環境が必要であり、それを守るためのルールが設けられます。しかし、すべての人がこのルールに従うわけではありません。そのため、ルールを破る行為には罰則が伴う必要があります。

2. 行為の倫理性

次に、人を殺す行為そのものがなぜ悪いのか、という点です。一般的に、他人の幸福度を下げる行為は「悪」と見なされます。人を殺すことは、当事者だけでなく周囲の人々にも深い悲しみや苦痛をもたらし、社会全体の幸福度を下げるため、倫理的に許されない行為です。ただし、この観点からも、「多くの人の幸福のため」と正当化される状況が理論上は存在するかもしれませんが、それには厳格な倫理的基準が必要です。

3. 状況による正当化

状況によっては、「人を殺してもいい」とされる例外があることを説明しています。これには反撃的殺人、罰則的殺人、予防的殺人があります。これらの状況は、倫理的な正当性や社会的な受容の度合いが異なります。特に、予防的殺人については、その行為自体の正当性を証明することが難しく、社会的に許容されるべきではないと結論づけています。

4. 日常生活と非日常の境界

最後に、一般的な日常生活においては「人を殺してはいけない」というルールが有効であると述べています。これは、社会の秩序を乱し、幸福度を下げ、倫理的問題を引き起こすためです。しかし、非日常的な状況、例えば自己防衛や戦時行為など、人を殺すことが倫理的に許される可能性がある特殊な状況も存在します。

結論

この記事は、人を殺してはいけない理由を実用的な社会の秩序の観点からも、倫理的な観点からも深く掘り下げています。しかし、絶対的な規則というよりは、状況に応じてその正当性を考えるべきであり、特定の状況下では例外が存在することも認めています。このような複雑な問題を理解するためには、広範な視点と深い倫理的思考が必要です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?