『灰のもと、色を探して。』第2話:二人の仕事

むいていない。その思いは、ずっと消えていない。

それでも、生きるために必要なのだと、言い聞かせていた。眼前に広がる瓦礫をぼんやりと見つめ、ミリアは長く息を吐く。

すでに、日はやや西に傾いていた。足元を漂う小さな寒気に、冬が近いのだと思う。そして、ここは屋根さえ崩落してしまっているのだと、改めて気を落とした。

遺跡と呼ばれる場所。遠い昔に捨てられた住居や施設であり、未解明の技術の塊でもあった。そこから、使えそうなもの、つまり売れそうなものを拾ってきて、買い取ってもらう。

発掘と呼ばれているが、要はごみ拾いに等しい。

肉体労働だった。かつての階段の残骸や、崩れた鉄柱を動かし、探索の道を作る。拾得できたものを、背負って持ち帰る。躰を動かすことは嫌ではない。しかし、自分には嗅覚というものが足りていないようで、同僚と比べ成績は優秀と言えず、むしろ下から数えたほうが早かった。

体力も筋力もある男の方が、結果を残しやすい。当たり前のことだと思った。下手な鉄砲でも数を撃って、着実に当てていく。それは、ミリアではできないことだった。

重音が響く。近くで、弟が道づくりに励んでいるのだろう。なにもこんな手垢まみれの遺跡相手に、と口内で毒づいた。

遺跡は発掘協会によって格付けがなされており、その等級は危険と未知の度合いによって決まる。今ミリアたちが任されているのは、街から最も近く、安全で、故にどこよりも調査されている最下級の遺跡だ。そのように使い古された場所からでも、外壁の材料くらいには役立つものが見つかるだろう、と判断されてのことだった。

名目はそうだが、とどのつまり、仕事をしなくても構わない、と見なされているのだ。ここでの成果と、それを担うミリアたちに、協会はまったく期待をかけていない。

弟は、発掘に従事してからまだ半年とは思えないほど、仕事に精を出し、報酬に貪欲だった。どれだけ欲が強くとも、実力や経験がなければよい仕事にはありつけない。ミリアは、そう弟に教え諭すこともせず、彼は昼夜問わず希望に瞳を輝かせている。

「姉ちゃんってば」

「なに、アッシュ」

「なにじゃないよ。何度も呼びかけたのに、返事しないんだから」

「ああ、ごめんね」

弟の声は、自分より高くて鋭い。今年で十三になり、自分とは四つ離れている。かわいらしいさのあるこの声も、いつか協会の男連中のように野太くなってしまうことを思うと、なんだか妙な歯痒さをミリアは覚える。

瓦礫の裏から、弟の顔が出てくる。普段は細くて軽い赤髪も、丸一日発掘に勤めた汗でぺたりと額にくっついていた。

「え、また手を抜いてるの? スミスに怒られるよ?」

「なにをしても、あのひとは怒るじゃない」

スミスは、ミリアたちが持ってきたものを買い取ってくれる、発掘協会の責任者だ。発掘者たちが最低限の生活を安全に送れるよう、持ち帰られてきた物資が、適正な価格で街中に流れていくことに心血を注いでいる。両親のいない、自分たちの後見人でもある。父母と、幼い頃から親しかったのだと聞かされていた。

そして、スミスが自分たちを怒るのは作為的であることに、ミリアは気づいていた。ほかの会員たちの前で、怒号を飛ばす。そうすることで、スミスが贔屓していないことを証明し、他者がミリアたちに不満を覚えないようにしていた。

「そうかもしれないけどさ、仕事は頑張るものでしょ」

「一丁前に、生意気だなあ」

返すと、弟は歯を見せて笑いながら、ミリアのもとへと駆け寄ってきた。並ぶと、まだまだ自分の背丈には追いつかない。しかし、弟にとって身長は禁句らしく、話題に出すことはしなかった。

弟は、いつの頃からかよく笑うようになった。年端も行かない時、彼はどちらかというと無口であり、ミリアのほうが多く喋っていた気がする。成長しただけ、と言われれば、そうなのかもしれない。そして、二人で均整を取るとでも言わんばかりに、ミリアの口数は少なくなっていった。

彼は、手になにかを握っていた。円形だと、暗さのなかで認識する。

「それ、どうしたの?」

「発掘。あそこの壁の下に隙間があって、そこに落ちてた」

弟がこの仕事に従事してから、まだ半年と経ていない。ところが、彼はよく拾えていた。本人は勤勉さによるものだと鼻を鳴らすが、ミリアからすれば、まさに才覚以外のなにものでもなかった。そしてそれは、自分には備わっていない。

弟は、発掘したものを近くの台に置き、床に置いていた灯火具を隣につけた。背中に紐でくくりつけていた刷毛を取り出し、丁寧に汚れを落としていく。

「特に、文字は書かれていないね。腕輪かな。もしくは、巨人の指輪」

「牛の鼻輪かも」

「姉ちゃん、まじめに」

巨人もふざけていると思うが、彼の横顔を見るに、相当真剣に取り組んでいるようだった。そのまま、弟は環状のものを手に通し、腕を数度振ってみる。

「俺には少し大きいけど、姉ちゃんだったらぴったりかも」

「失礼な」

言いながら、渡された発掘品を手に取る。ひやりと冷たく、わずかに重い。木や石ではなく、鉄鋼から作られていそうだった。しかし、いざ腕につけてみると、柔らかな肌触りにミリアは少し驚く。表面になにか、技術的に高度な加工がなされているのだろうか。昔、装飾品として用いられていたのかもしれない。

「やっぱり、腕輪じゃないかしら? 年代とかはまったく見当がつかないけど」

「そうかあ」

「なんで残念そうなのよ」

「普通だなあって思って。まあいいや。返して、姉ちゃん。それは俺が発掘したんだから」

「はいはい」

こういうところは、まだまだ子どもだ。微笑み、ミリアは腕輪を返す。弟は、自慢げに受け取ると、すぐさま腕に装着した。

「あまりいじって、壊さないようにね」

「わかってるってば」

「そう言って、この間も壊したじゃない。スミスも呆れていたのに」

「心から反省してます」

「言葉ばかり覚えていくんだから、もう」

唇を膨らませながらも、ミリアは弟と時間を過ごせていることが嬉しかった。ミリアたちのような下っ端は、街から近く、多くの人に踏まれた遺跡へ行き、残飯を漁るようなことしかできない。それでも弟と一緒なら、貧しくとも苦だとは考えなかった。

「あれ」

思わず、ミリアは声をあげていた。

「どうしたの?」

「アッシュ、腕輪が光ってる」

指を差す。腕輪が、ほのかに明るみを帯びていた。火や気体灯とは異なる、限りなく定量的な輝き。はじめて見たものにもかかわらず、ミリアにはそれが人工のものであると思えた。

火であれば、太陽と同じく色は赤橙のはずだった。この光は、あまりにも白い。

「うわ、なんだこれ」

「はずしたほうがいいんじゃない?」

弟は、慌てながら腕を振り、勢いよく腕輪をはずして手で掴む。微光は、ゆるやかに消えていった。

「古代の、灯火具?」

「照明器具にしては、光が弱すぎるような」

「ううん」

言いながら、弟は再度腕輪をつける。案の定、腕輪はほんのりと輝いた。危険性はなさそうだったが、得体の知れないものであることに変わりはない。

「やめなさいって。躰に害があったらどうするの。その光、わたしたちが普段見ているものとは違うわよ」

「なんだか、光が弱くなってない?」

忠告を聞かず、アッシュは首を傾げつつ光を眼で追う。言われてみれば確かに、先ほどよりかすかに暗くなっているようだった。しかしその理由を考えようにも、心が変に浮足立って頭が回らない。

「それで?」

呆れなのか感嘆なのか、出自のわからない息を吐いて、ミリアは弟に言葉を急がせる。

「それで、って?」

「それは、なんのためにあるの」

「さあ。まったくわからない。ああ」

完全に、光が消失した。確かめようと弟は何度か着脱をするが、反応は生じなかった。

「売れるのかなあ」

諦めたように、弟は感想を洩らす。

「なんだかんだと言って、スミスはいつも買ってくれるでしょう」

甘えている、とミリアは実感している。発掘者とは都合のよい隠れ蓑で、スミスは単純に自分たちを支援してくれているのだ。親がいなくとも生きていけるよう、困窮せずに済む程度には金銭を満たしてくれている。

それは、嬉しいことで、しかし少しつらかった。なぜかと考えると、多分、なんの役にも立てていないからだろう。自分たちは、生かされている。

「今日はこの辺にして、帰ろうか」

日が暮れはじめていた。街から遠く離れていないとはいえ、夜の暗がりのなかを二人で歩くことはさすがに無理があり、スミスにも固く禁じられていた。

「え、早くない、姉ちゃん?」

「そんなことないよ。夜になってからじゃあ遅い」

実のところ、やや早いとは認識していた。切りあげたかったのは、弟の瞳に居座りつつあったなにかに、焦燥感を覚えたからだ。情熱、とでも言えばいいのだろうか。

自分には、ないものだ。

露骨に不服そうな弟を、ミリアは手で制する。弟にとって発掘は天職なのか、こちらがなにも言わないと、休憩も取らずに働き続ける。嬉々として忘我し、そしてほかのことが眼に入らなくなる。

「近くにあると思うんだよね、ほかにも。まだまだ、落ちている気がする」

語気を強めつつ、弟は腕を見せてくる。

「そんなまた、まったく確信のないことで」

「勘だよ、勘。今日は一段と冴えていると思うよ、俺」

標的が逃げてしまうかのように、弟は急いで瓦礫に戻っていく。

「もう。あとちょっとだけだからね」

「へへ、ありがとう、姉ちゃん」

腕輪を鳴らすように、弟は手を挙げて応えてきた。ほどなくして、土や石を除ける音が響いてくる。朝から晩まで続けているというのに、弟の無尽の体力にミリアは驚きを禁じ得なかった。そしてその力は、女である自分には届かない類の資質だった。

男に生まれていれば、色々と違ったと思う。発掘もとことんやっただろうし、仕事が嫌なら、軍へ入って剣を佩き、戦で糊口をしのぐこともできただろう。

同年代の女の子たちは、家庭を手伝い、学校へ行き教養を身につけ、服飾や美容など、将来希望する職へ着けるよう準備している。両親がいない自分には、どうすることもできない。スミスはお金を出してくれるかもしれないが、これ以上の迷惑をかけたくなかった。

ただ待っているのも手持ち無沙汰に感じ、ミリアは周囲を見渡し、発掘の再開を試みる。弟が頑張って結果を出そうとしているのに、姉としてただ傍観しているのも情けない。たとえ自分に才がなくとも、スミスの情にあぐらをかかず、当然のように自立して生きていきたい。その思いに、嘘はなかった。

しかし。

「あとどれだけ、この仕事を続けていくのかな」

弟には聞こえないように、呟く。積もっていくこの疲労感は、未来への不安から這い寄ってきているのだろう。発掘したものが、だれかの役に立っている。そう説明されても、どうしても建て前としか思えない。だからといって、生計を立てる別の手段を、ミリアはまだ見つけられていないのだ。

なにかに、呼ばれた気がした。

振りむく。そこには、先ほどと変わらない景色があった。気のせいに違いない。今この場には二人しかおらず、また、弟の声とも違っていた。女の子の声に聞こえたのだ。

やはり、疲れているのか。

「いや」

違和感を覚える。視界に、なにか納得できないものがある気がしてならない。ミリアは眼を周到に配った。壁、床、灯火具、荷物。

灯火具の影が、切れていた。一箇所だけ、床が隆起していた。

影に近寄る。おそらく、弟の発掘作業による振動で、なにかしらの衝撃が走ったのだろう。隙間なく敷き詰められていた石が盛りあがり、むき出しになっていた。そして、ほかの石とは材質も違うようで、どことなく艶やかな印象を受けた。

そう、まるで腕輪のような。

嫌な予感に、肌がざわつく。同時に、もくもくと膨らんでいく好奇心を内側に感じていた。

引っ張れば、抜けそうだと思った。突起した石を掴む。片手では取れそうもないと判断し、両手で力をかける。また、その力が分散しないように、足をしっかりと構えた。

少しだけ、石が浮く。もっと力を籠めれば、抜けそうだった。妙な胸騒ぎは、なくなっていない。それでも、取り憑かれたように石へ専心した。

踏ん張りとともに、呻き声を出した。発掘をはじめてから、ここまで力んだことも、執着したこともなかった。ただの石に過ぎないのに、と笑いそうになる。

「うう」

声量の増大に伴い、石も出てきている。握力は限界だったが、緩めてはならないと心を強く持つ。男だったら、もっと簡単に早く取れるのだろうか。ここに来て浮かぶ雑念は、異性に対する羨望だった。その事実にも、そう思ってしまう自分にも、悔しくて腹が立つ。そしてその苛立ちを、石にぶつけていた。

ふと、石の圧力が消える。そう思ったのも束の間、ミリアの両目は自身の両手が凄まじい勢いで弧を描き、持ちあがるさまを捉えていた。やや遅れて、振り子となった両腕の反動で体が後ろへ飛ぶ。そのまま仰向けに倒れ、勢いで石を放ってしまった。石が後方の壁に強く当たり、落ちる音がする。

「姉ちゃん」

異状を察知して、弟が慌てて駆け寄ってきた。空を仰いだまま、顔を弟にむけてミリアは弱々しく手を振る。弟は、狼狽したような表情を見せながら、眉をしかめた。

「どうしたの?」

「抜いたの、石を。そうしたら、反動で飛んで行っちゃって」

「石? どこの? なんで?」

「床から出ていた石。理由は、なんでかしら。暇だったから?」

ミリアは上体を起こし、石が埋められていた穴を指で差す。なにかに呼ばれた気がした、とは、話さないことにした。

「そっちはなにかあった、アッシュ?」

「暇潰しに、危ないことをしないでよ」

「ごめんごめん、わかった」

「わかってない、なんにも」

弟の声には、怒気が含まれていた。思わず、ミリアは視線をむける。

「飛んだ石が、姉ちゃんに当たったらどうするつもりだったの? ましてや、手袋もせずにやるなんて。手に消えない傷ができたら困るでしょ? 本当に、無謀としか言えないよ。なんにも考えてない」

弟は、ミリアの手を取り、念入りに見ていた。変な痕ができていないか、確認しているようだった。くすぐったいが、弟の真剣な眼差しに口を噤む。

「石を抜くことくらい、俺がやる。今度そういう時があったら、絶対に呼んでね。姉ちゃんは女なんだし、こういうのはやらないほうがいいと思う。とりあえず、怪我がなくてよかったよ」

心の底から、弟はミリアを気にかけてくれていた。それは、本来嬉しいはずのもので、ありがとう、と弟に伝えるべきだった。

その理屈は彼方へと消え、自分のなかで、陰惨な気持ちが急速に拡がっていく。

「それは、働くなってこと?」

強く、言い放っていた。弟に悪気はない。むしろ、優しさと気遣いに溢れている。それも、充分承知のことだった。

「姉ちゃん、別に俺は」

「邪魔してるのかな、わたしは? 発掘が好きで、得意なアッシュからすれば、非力な女であるわたしは、足手まといってことかしら?」

最低なことをしている、と思った。頬が熱く、視線が定まらない。一度放った言葉は、取り消せない。それでも、自分とは別の生き物であるかのように、開いた口は黒く濁った感情を吐き続ける。

「好きで」

その続きは、言ってはいけない気がした。それでも、止まらない。

「好きで、女に生まれたわけじゃない」

ほぼ叫びに近かった。どうして、こんなことを弟にむかって言ってしまうのだろう。湧きあがる後悔と羞恥で、目頭が滲む。弟の顔を直視できなかった。

静けさが続いている。遺跡の中を、かすかに風が通っている。

「姉ちゃん」

困惑か心配か、弟の口調からは汲みとれない。その呼びかけに応じる気も、ミリアには起きなかった。

「姉ちゃん」

正直、どう反応すればいいのかわからない。謝ればいいのだろうか。なにを謝るのか。金切り声をあげたこと。今、無視をしていること。感情を抑えきれなかったこと。そのどれも、正解とは考えられなかった。

不意に眼の前が陰り、両肩に重みがかかる。弟が、自分の前にかがみ込み、手を置いていた。

「こっち見て」

否応なく、むき合う。自分の情けない表情とは異なり、弟の顔は整然としていた。茶色がかった瞳が、炎のように燦然と煌めき、ミリアを映している。

「ごめん」

正しくはない。それでも、ほかに言う言葉が見つからなかった。

「いや、俺、変なことを言っちゃったのかもしれない。ごめん、悪気はなかったんだ」

「知ってる」

弟は、どうしようもないほど優しい。

「だから、謝ってる。本当にごめん、アッシュ」

「そっか」

弟は、次の言葉を発さなかった。互いに視線を合わせたまま、再び沈黙が場に満ちる。

目眩を感じた。感情の高ぶりに、遅れて肉体が反応したのだろうか。

違う。

「揺れてる」

ミリアが認識すると同時に、弟が声をあげた。追って、地響きが伝わってくる。遺跡全体が、揺れているようだった。もしくは、ここからではわからないが、大地そのものが振動しているのかもしれない。近くで、瓦礫の崩れる音が聞こえる。それを皮切りに、全身にふつふつと粟が生じていく。

外へ出なければ。

「アッシュ」

逃げよう、とまで言えずに、ミリアはまた仰むけになっていた。弟が覆い被さっているのだと、わずかに遅れて気づく。

弟は、自分を庇っているのか。重なる弟の躰から、伝わってくる小さな震えと鼓動に、ミリアは眼を見開く思いだった。弟だって、怖いに決まっている。それでも、ミリアを守ろうと勇気を奮い起こしている。

自分はただ、女であることに嫌味を言い、弟に嫉妬めいた感情を抱いていたというのに。

せめて、弟を安心させたい。気づくとミリアは、弟を抱きしめていた。理屈で考えれば、あちらこちらに亀裂が走り、埃にまみれている古い遺跡のなかに留まっているより、外へ出た方が確実に安全だった。そうわかっていても、ミリアは弟の躰を力いっぱい引きよせる。

あまり時間を経ずに、揺れは収まった。体感の域を出ないので、もっと長く揺れていたのかもしれない。

とにかく、無事だった。互いの鼓動を感じながら、ミリアは思う。

「姉ちゃん、苦しい」

「怪我は、アッシュ?」

「大丈夫、多分。それよりも、息ができない」

自分が思うより、遥かに強く抱いていたようだ。緩めると、待っていたと言わんばかりに、弟は腕の中から出ていった。そのまま立ちあがり、四方を見渡す。情況を確かめているのだろう。自分はと言えば、弟の体温が離れた寒さを、寂しいと感じていた。この火急の時になにを考えているのかと、自嘲気味に鼻で笑う。

少し前までは、よく弟に触れ、可愛がっていた。距離を取るようになったのは、自分の方からだと思う。それは、そのまま心の距離を反映しているのだろうか。

弟の動きが、感じられなくなっていた。なにかあったのかと、ミリアはようやく立ちあがる。

弟は、こちらに背をむけ、立ち尽くしていた。そしてその後ろ姿は、自然体と呼べるものではなく、どこか強張っている。弟の両手が握りしめられていた。

「アッシュ、どうしたの?」

返事が来ない。その代わりに、弟は首をこちらに回してきた。その眼と口が、大きく開かれている。表情からも姿勢からも、受ける印象は驚愕という言葉の一辺倒だった。

その先に見えた情景に、ミリアも息を呑む。

「これは、なに」

問いかけというよりは、ただ感想を洩らした。

空洞ができていた。大穴と言ったほうが、的確かもしれない。先ほどまで自分たちが発掘に明け暮れていた区画が、すべて沈んでしまっていた。

「床が、崩れた?」

「姉ちゃん、そこ」

弟が、前方を指で差した。そこは、自分が石を相手に奮戦していたところだった。今では、穴の縁となっている。

「もしかして、わたしのせい?」

「そうじゃないよ、って普段なら言いたいところだけど、こればかりは、姉ちゃんのせいだと思う」

冗談でも非難でもなく、弟は淡々と返してきた。

「壊しちゃった、わたしが遺跡を?」

遺跡は、利用されておらず、捨てられた建物である。とはいえ、自らの所有でないものを破壊してしまったことに対する罪悪感で、ミリアはいささかたじろいだ。

「いや」

呟くように、弟は視線をむけてくる。わずかながら、口角があがっているような気がした。

「壊したんじゃなくて、見つけたんだと思うよ」

「どういうこと? 励ましてくれてるの?」

「いいから、自分のしたことを、もっとちゃんと見てごらん」

「なに、その言い方は。かわいくない」

二人とも、軽口を叩けるくらいには、平常心が戻ってきているようだ。ミリアはひとつ大きく呼吸をし、再び空洞の端、つまり石を抜いたところを見やる。

深淵の中心にむかって、道が伸びていた。手前から、奥へと進むにつれてさがっていき、光が届かないためか、影が濃くなっている。

「階段だよ、姉ちゃん」

答え合わせをするかのように、弟は言う。

「もともと、ここには階段があったんだ。それが、なにかの理由があって埋められた。隠されていたのか、ただ工事が面倒だったのかどうかはわからないけどね。なんにせよ、疑いなく言えることがひとつだけある」

興奮のまま一息で言いきると、弟は破顔した。

「ここは、未踏だってこと」

今までに聞いたことのない、大きな声だった。急になにかが弾けたように、弟は灯火具のもとへ小走りで行き、それを荒く掴むと、階段の前で強く足踏みを繰り返した。

「ちょっと、なにしてるの」

「崩れたばかりだし、階段が脆くなっていることも考えられるかなって。だから、衝撃を与えてみてる。この感じだと、頑丈そうだ」

「降りるの、今から?」

「降りるよ、今からね」

「危ないって」

「危なくない」

許可が出ないのが待ち遠しいのか、もはや弟は鸚鵡返ししかしなくなっていた。

「アッシュ、駄目だよ。絶対に駄目。お姉ちゃんの言うこと聞いて」

灯火具を持っている、弟の腕を引っ張る。

「スミスに報告しないと」

想定を超える事態に遭遇した際は、必ずスミスに報告をしてから対応を仰ぐ。それも、発掘をする時に指示されていることだった。

「それこそ駄目だよ、姉ちゃん」

余程不服なのだろう。引っ張る腕に、少年とは思えない力が籠められている。

気持ちは、わかっているつもりだった。発掘にとって最も評価される仕事は、未知を持ち帰ることだった。その点から言えば、今日の業績はこれまでのミリアたちのものと比べ、最高級と言って差しつかえない。

それでも、これ以上なにかを進めることに対して、警鐘が鳴っていた。それは、スミスの言いつけを反故にすることからか。それとも、別のなにかか。

「今俺たちは、新しい歴史に出会えるかもしれないんだよ。ほかのだれでもない、俺たち二人が。スミスに伝えたら、きっと俺たちは蚊帳の外になって、協会の大人たちがすべて功績をかっさらっていくに決まってる」

弟は怒っている。それも承知だったし、弟の言うことは、多分間違っていない。ミリアたちのような協会にとっての新参者が、大きな業績をあげること。それは自分たちだけを考えれば素晴らしいことだが、協会からすれば、必ずしもよいとは言えない可能性もあった。古い組織に新しい波風は、混乱を生むおそれがある。

「わかってる。わたしはわかってるよ、アッシュ」

「わかってない、姉ちゃんは、なにも」

報酬は、実績に連動する。発掘協会は通奏低音としてこれを掲げ、老若男女が等しく機会に恵まれていると説く。ただそれは、発足した当初のものだ。数百年の歴史を重ね、巨人となっていった協会では、関わる人数が当時とは圧倒的に異なる。経験や勤続という概念が生まれると、作った結果ではなく捧げた時間に対して、ひとはどうしても果実を求める。

「お願い。もう帰って、スミスに報告しよう?」

理屈で勝れない以上、情に訴えるほかに手はなかった。

経験も勤続もない、ミリアたちの過度に大きな実績は、ほかの会員たち、つまり先輩たちからの羨望を集めてしまう。そしてそれはそのまま、嫉妬や怨嗟に繋がるのだ。

こちらはこんなに長く働いて協会へ尽くしているのに、なぜ新人のあいつらが優遇されるのか。これまでに費やしてきた時間を返してくれ。

弟は、首を縦に振らない。睨む、と換言できるほどの気迫と、丸い瞳で、こちらをただ見つめていた。

「姉ちゃんは、お金が欲しくないの?」

もちろん、時間によって得てきた経験や知識は、成功に一役買うことがある。しかし、この仕事において、分水嶺となるのはやはり運でしかなかった。そして、運が大事であるなら、それは賭博と変わらない。事業として継続し、会員に押しなべて富を分配するのに、協会は考え方を練り直した。

曰く、各会員の運は、協会全体のものである、と。

「わたしは」

スミスが会長になるより昔から、協会には年功序列の風が強く吹いている。そして、人々は皆それを求めて発掘者になるのだ。

だれかがご馳走を拵え、それを年長者から多めにいただいていく。若者は不満を抱くが、いずれはたくさん食べられるようになる。その思いで、厳しい現実を我慢できる。

「わたしは、お金よりも、アッシュの方が大切」

弟を守りたい。この思いに濁りはなかった。そのためには、今回の幸運を二人ではなく皆のものとしなければならない。十を少し過ぎたくらいの少年が、倍以上を生きているひとたちよりも結果を出すべきではない。

たとえ、弟から恨まれても。

「だから、今日はここまで。アッシュ、わたしは譲らないよ」

眉間に力を入れ、弟を見つめ返す。心なしか、弟の表情が緩んだ気がした。なにか憑き物が落ちた、とでも言うように。続いて、灯火具を持つ手から緊張が消えた。

「うん。そうだね」

消え入りそうな声だった。肯じてくれたことに、ミリアは胸を撫でおろす。

「帰れなくなったら、危ないもんね。もう、日も暮れたし」

うまく誘導できた、とミリアは安堵する。夜が危ないから、スミスとの約束だから帰る。今は、それでよかった。社会が織り成す複雑なしがらみは、弟にはまだ早い。いずれ知る時が来たら、自ずと理解するだろう。

「ありがとう、アッシュ」

「ううん、ごめん、わがまま言って」

そして弟は、おそらくミリアの身を案じている。夜道を帰ることは、当然ながら男より女の方が遥かに危険だからだ。

「いいの。こっちこそごめん。それじゃあ、帰る用意をしようか」

姉であることは、年上の女であること。男として生まれ、いくらか背も伸びはじめた弟には、性別を気にするなと言っても無理なことなのだろう。女性を気遣うということは、多分素晴らしいことだ。自身へと言い聞かせるように、ミリアはそう思った。

「荷物を取ってくるよ」

腕輪を着けたまま、灯火具を置き、できたばかりの暗がりに弟は消える。本来なら自分も行くべきと思ったが、ここに置かれた灯火具が、動くな、と言外に伝えてくるようだった。

静かに深呼吸をする。両親が亡くなってから、弟に不満足な思いをさせたくなかった。しっかりと稼いで、安心な生活を営みたかった。しかし、技術も学問もない自分にできることはなかった。スミスがいなければ、今ごろどうなっていたのだろうかと考え、そうならなかったことをただよかったと思う。

それにもかかわらず、弟と二人で得られそうな成果がすぐそこに現れた時、思わず身を引いた。協会の内情を楯にして、弟の熱を冷ました。協会の、スミスの計らいで少しばかりは報酬を弾んでくれるだろうと、疑いもなく信じこんで。

結局、変わることを怖がっただけでは。

ここに来て、先ほどまでの自分に疑念を抱く。弟が大事と言いながら、とどのつまり無変化による保身を選んだだけでないのか。

「なんなんだろう、わたし」

かすれた声は、中空に消えていく。

「姉ちゃん、この腕輪なんだけどさ」

闇から、弟の声が届く。荷物をまとめ終わったのか、発掘用具が布袋の中で擦れ合う音が、弟に随行する。

あの腕輪は、なにを目的として作られたのだろうか。それが既存の価値観から離れていればいるほど、きっと売値は高くつく。

それを弟が発掘してきたことを、協会の皆はどう受け止めるだろうか。おそらく、よい反応ではないと思った。場数の足らない新人の小僧が、不相応な成果を得て帰って来るのだ。遺跡を崩落させたことを問い詰め、非難してくる人も当然いるだろう。そして、そうなる前にスミスが場をとりなしてくれるのだとも、ミリアはなんとなく予想していた。

せめて、余計な面倒を避けるためにも、偶然であることを殊更に強調しなければならない。

弟が明るみに出てきた。ほぼ同時に、ミリアは刮目する。

「腕輪、もうひとつ見つけた」

弟はその手に、腕に着けている輪と同型のものを握っていた。その顔は、先ほどまでとは変わって煌めいている。

これを偶然として片づけられるのか。

ああ、困ったことになった。ミリアは言葉を返せない。


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こちらのイラストは、ジャーマン☆ドッグ様に描いていただきました。

改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。

■ジャーマン☆ドッグ様ツイッター

https://twitter.com/jarman_dog

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谷影栄一

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