私のこと。持病の話。

自己紹介。
三重県在住の30代主婦。看護師免許あり。
心疾患の持病を抱えながら、家事育児猫のお世話に追われる日々。
犬派だったが、愛猫たんじろうが来てから無事に猫派に移行し下僕と化す。猫好き。
好きな食べ物はパン、ラーメン
苦手な食べ物はわさび、からし、青魚
アルコール不耐と花粉症持ち。
super juniorとSHINeeが好き。隠れK-POPファン。

看護師時代は、血液内科、腎臓内科、糖尿内分泌内科の混合病棟→産休育休→小児科病棟を渡り歩いた根っからの内科看護師。前職場から夜勤が出来ない人は正職員には要らないと言われ、半強制的に病気を機に退職した。現在専業主婦。

ここからは持病の話。
慢性的な寝不足とストレス、過労が元で体調不良を引き起こし受診したところ、不整脈が起こりまくっており急性心不全のため即入院。正常の30%くらいしか心臓が機能しておらず受診が遅れていたら確実に過労死していたと医師からお叱りを受ける。すまん先生。それどころじゃなかったんだよと事情を話し同情される。自分の働いている病院の看護師から患者に早変わりして入院生活を満喫。意外と病院の食事が美味しくて満足していた。笑

入院先の循環器病棟には元プリセプティー(指導をうける新人)がいて、どうして僕の大事なプリさん(プリセプター=指導する先輩)が…と泣かれる。彼は自分が関わった人を大事に思いやることが出来る素敵な看護師に成長してくれていた。新人時代は血を見ただけで倒れていたくせに頑張ったんだねと褒めておいた。そうしたらまた号泣された。彼は新人時代に血が苦手で克服出来なければ1週間オペ室に放り込むと当時の鬼師長に言われ、注射の練習台になっていた私の腕を泣きながら採血し続けてギリギリで克服し、はじめてのステルベン(話したこともない担当外の患者様の臨終)に当たった時に号泣した男だ。もうすっかりアラサーなのに泣き虫なのは変わってない。
しっかりしろ!今はもう2児のパパだろ!泣くな!私は大丈夫!絶対元気になって帰る!死ぬわけがない!私は今プリセプターではなく患者ですが…?患者の前で泣くんかい!と笑いながら慰めた。

数日後の彼が夜勤明けの朝、私の心臓の動きがおかしくなった。二段脈や三段脈も危険だけれど、その時は4回脈が飛んだ。おかしいと思ってナースコールを押そうと思った時、彼が駆け込んできてくれた。
「やっぱりおかしいと思った!モニター見てて良かったです、大丈夫ですか⁉︎」
4回脈が飛んだのは一度だけ。それ以降は落ち着いたから、「大丈夫。でもちょっとしんどいかな」と答えるので精一杯だった。死ぬかもしれないと思った瞬間だった。そこから早めに各種検査に連れて行かれ、戻ってからは完全にマークされて少し脈が飛ぶだけで駆け込んでくる看護師たち。ケロッとしている私。「さっき1回おかしかったー」と報告し、「自覚あるなら大丈夫ですねー」なんて会話をする日々が続いた。

そんな慌ただしくものんびり過ごしている間に修羅場に直面している人が1人。娘である。
ある日、病院に行ったまま帰ってこない母。
相変わらず保育園は行っているけど自宅に帰れず、祖父母の家で寝泊まりする日々。
「ママは?おうちに帰る」と何度も泣いたらしい。
面会に来ると帰りたがらない娘。「ママも一緒にかえろう!ダメなら私もここで寝る!」と言って泣いた。かなり我慢させているな…と娘が帰った後、何度も1人で泣いた。
泣くと心拍が乱れる。飛んできた看護師は泣いている私にビックリしていた。
娘が限界に来てる。早く帰るにはどうしたらいい?と相談した。主治医の煮え切れない態度に物申したり、その事で師長さんにも迷惑をかけた。
家庭の事情と師長さんたちの配慮により心臓カテーテルが終わったら退院してもいいと主治医から許可が出た。最短でやってください!とお願いして2日後に心カテを受けた。

心カテで問題発生。上級医から指導を受けながら頑張る主治医他若手医師。なかなかうまく進められない検査にキレ気味の指導医。萎縮する若手医師たち。
「ここの波形がこうなったら、どこが悪さしてるかわかるだろう。波形はどうなってる?○○だろ!ちゃんと見て考えろ!」…循環器は得意ではないからサッパリわからない会話。こちらにも何か説明してくれー!と思いつつ耐える。実験台か何か?と思いながら検査を受けて、検査終わりますねーと言われて、やっと終わったーと安心していたら、カテーテルを抜いている最中にあり得ないところで不整脈が起こる。ドクドクして気持ち悪い。先生なんか変…と言ったら、乱れる波形に慌てる医師軍団。なぜ不整脈が起こるのか、どこが悪いのかわからないと何度も原因を検索。指導医に代わりさらに詳しく検索。
そして心カテ台の上で放置される私。「相談しに行ったから少し待ってね」とカテ室の看護師に言われる。
そして戻ってきた指導医に色々な説明をされ、アブレーション と言う治療が必要だと言われながら大幅に時間をオーバーして検査終了。

長時間にわたる心カテに疲れながら出て行く若手医師。出口で待ってた夫をスルーして出て行ったようだ。指導医だけは声をかけていってくれたらしい。そういうとこやぞ!若手しっかりせぇ!と心の中で悪態をついておいた。

診断名は左脚ブロック、拡張型心筋症
どちらが先に起こったのかは不明。とにかくこれらが原因で心臓に負担がかかり心不全が起こったと言われた。
とりあえず利尿剤で溜まった水分を出して、薬で不整脈が起きないように抑えることが必要とのことで、次の日から内服薬が始まる。
幸い内服薬がよく効いたらしく、数日後に明日退院でいいよーと突然言われた。
帰る帰るー!と二つ返事で退院決定。翌日帰宅した。
帰宅途中にお蕎麦屋さんで食べた蕎麦が美味しすぎた!娘もニコニコで天丼完食!ご飯が終わってしまったから…とサービスでキュウリの漬物を貰ってさらにテンション上がる娘。
家に帰って一緒にお風呂に入って一緒に寝た。
幸せだなーと感じた。

1ヶ月後にアブレーションを受けた。結果を先に言うと治療出来ずに終わった。異常がある場所が焼灼出来ない位置、電気信号回路の中にあった。そこを焼灼すれば心臓が止まる。やるなら同時にペースメーカーを入れるしかないとのことだった。焼灼を諦めて確定診断のための精密検査で終わった。
内服で経過観察するしかない。また自宅療養に戻った。

自宅療養がまた地獄のような日々だったけど、たんじろうを飼い始めてから好転した。たんじろうのことは次に書こうかな。

今でも内服を続けていて発作を起こすこともなく日々過ごしている。心不全の数値も正常に戻り、心電図の波形も良くなっている。入院時は30%ほどしか動いてなかった心臓も正常に戻りつつある。
数十年後にはペースメーカーが必要になるけど、娘が独り立ちする日までは生きていたい。

入院前の生活
夜勤ありの不規則勤務。癌で闘病していた父の看病と病院通いと家に残った障害者の母の世話に加えて自宅の家事と育児。
父が亡くなってからは、夜勤ありの不規則勤務の合間をぬって父の死後の諸々の手続きを処理をしながら、一人暮らしはできない未亡人の母のために入居先探しに駆けずり回って母の引っ越し準備をしながら自宅の家事育児をこなす。父の49日法要や叔父が亡くなったため母を連れて葬儀に出席と、寝る暇もなく休む時間もなく他に頼れる人もなく動き回っていたら限界をとっくに超えていたらしく死にかけた。休息、睡眠大事。2度と夜勤ありの仕事には就かない。

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