薬を使わない発達障害改善歴 長男編

長男。
アスペルガー、ADHD、書字障害、協調性発達運動障害の薬を使わない改善履歴!
ざっくり療育年表。

何度か投薬を勧められた機会はあります。初めに受けた小児科の先生にもらった製薬会社から出ているパンフで見た副作用で『食欲不振、吐き気、体重減退』があったのを見て、「運動も出来なければ、クラスメイトにバカにされてる、何が出来るかわからない子だけど、食べるのだけは大好きだ。それを奪うのは、出来る事なら避けたい」って思ったのが、初期。

次に投薬を考えた時は、長男「うん!もう少し、薬飲まないでやってみる!」っと、あまりに楽天的に言われたので、別の道を考えようと思いました。

根治に至る原因を隠してしまう薬は、自分と周りの殺傷危険がない限り使わない方がいい主義です。

改善歴w


長男は、5歳の時、走れない(必死になっても両足が常に地面についてないと、一瞬たりとも立っていられない)状態でした。

ジャンプさせると足が床からちっとも上がらないのに、着地出来ずに転びます。

そんな身体でも、不思議と日常生活は送れてました。歩くのは、鉛のように遅いが、極度の運動音痴くらいにしか思ってませんでした。

日常生活でも、悪気はなさそうだけど、側から見てめっちゃ心ない悪事してる時をちらほら確認。

身体の取り組みはたくさん試しました。
アメブロ『王様日記〜発達障害の息子話』の過去ブログ初期にまとめてます。

体操教室も通ったが、1年真面目に楽しく通ったが、前転で立ち上がる事も出来ず、
後転、跳び箱、逆上がりも何一つ出来ない。

トランポリンは、反動を殺す跳び方しか出来ない。

それぞれをしらみつぶしに訓練していく。

手も不器用で、ハサミだけは早いうちから使わせて出来たが、箸、鉛筆は、まともに持てず、ペットボトルが空けられるようになったのは、高学年になってからです。

微細運動も粗大運動も底辺。

小1の時、工作教室を『もう来ないでくれ』とクビになり、

学校は楽しく行ってましたが、
教室に入らず、校庭で砂遊びの毎日。

授業を受けてないは、小4冬まで続く。

小2から通級指導教室に入ったが、運動会の練習後の音楽でパニックを起し、小児科で診断をもらう。

『問題のないADHD』って診断でした。
なかなか、面白い先生で、投薬のリスクと医者の出来る事を飾り付けず教えてくれたと思ってます。
ここで、聴覚過敏だったと気づく。

机に両手をつけても片足立ちが出来ないという、想像を絶する身体だと小2の冬に再認識する。

作業療法士さんや理学療法士さん、色々専門家に会える時に会って、聞きながら、でも、言われたやり方だと成長実感を得られず、アレンジしていく。

小3の時に
「俺の友達になりたいなら、世界チャンピオン以上じゃないと、友達になる意味がない」
と言い放った、友達ゼロの長男を本格的に心根を叩き直そうと決心。

勝ちにこだわり、パニックも起こしている。こだわりの一番強かった時期が小3〜4年。

今、落ち着いた本人は、ここでの記憶があまりない。

アニメを使ってソーシャルスキルを鍛えようと始める。

少し改心して、小3の友人と初めて放課後に遊ぶ約束して、多摩川に自転車で行き着く手前で、軽トラが足に乗っかる事故が起きて、3週間入院。

せっかく頑張った身体作りが、降り出しに戻った絶望がありつつも、この機会に漢字を鍛える。言葉遊びのわからないアスペルガー長男にダジャレから、叩き込む。

この時点でノートはほぼゼロ。
何か書かせると文字はほぼひらがなオンリー。
漢字テストは平均20点。

漢字に取り組んで、ひどすぎる現状から、視覚認知がイかれてる事と、微細運動が出来なすぎて書字障害を起こしている事を知っていく。

この頃、1文が6文字〜15文字程度の50問の漢字のテストを書き写すのに、怒鳴り続けて2時間半かかってる。

文字の途中でも、スイッチが切れるのだ。

動けない間、漢字を覚えれるが、腕の筋肉が全然使えてない事を実感。使える身体がないので、覚えても使えないで身につかないので、一旦やめる。

夏休み終わっても松葉杖生活。動けない身体のお陰で、一瞬世話焼きの友達が出来る。

足が完治したら、長男特有の『おうむ返ししか許されない、押し付けファンタジーワールド遊び』に誰もついていけず、すぐに友達は誰もいなくなるw

再度、荒んだ長男と戦いながら、ソーシャルスキルを叩き直していく。

この時期は、ADHDも酷く10時間座りっぱなしで、漢字2字しか進めないで、昼ごはんも食べ忘れてたりしていた。

癲癇かとも思って、検査したら、脳波異常はあったが、ADHDのものだろうと言われました。

リハビリ中に考案して、少し試し、構想はしてた自己流ストレッチを本格的に始めた小4秋。
仰向けで10度も上がらない足。
オネェ座りも出来ない。
手もちゃんと握れないし、開けない状態を改善していく。

校門に入ってから、クラスにまっすぐ向かえるようになったのは、この辺。
書字障害回復したのもこの後の冬。

4年身体力測定が万年E判定から、Cの平均になった。

4年終わり。
小1でクビになった以来、初めて定型発達の短期バスケ、短期タグラグビーをやってみる。
頑張ってるが、立ち位置、動きの理解が出来ていないが、いいステップになった。

5年の春に変わったばかりのクラスの大半からイジメがあり、学校は行くが、学級から逃げ出す日々もあった。

林間学校前に判明したので、先生が「班変えようか?」って、提案に
長男「クラスに友達誰もいないから、変えても変わらないから、そのままでいいよ!」と、答えるw

これもバネに長男のソーシャルスキルを上げる糧に出来た。

5年になるまで、運動会や発表会で、全体の立ち位置や動きを合わせられず、見ればズレてるのが、いつでもすぐわかる状態だったが、合わせられるようになってきた。

体育で活躍出来た話がよく聞けるようになった。
走る速さが、『学年下から3位(身体障害の子も含む)』から、『クラスの平均タイム』になった。

他クラスの通級指導教室の子だが、長期的な友達が出来て、放課後によく遊ぶようになった。

6年。修学旅行。
「友達から、誘われるようになり、ウノやって、夜更かしして、枕投げ…は、先生に怒られた」そうだ。

個別の声がけは必要だが、授業のノートを取れるようになった。
課題は、書くものが多いと完遂出来ない事もあるが、半分くらい提出出来ているらしい。

クラスの2/3とは、話せる仲になり、1/3はまだ無理らしい。

中学から、積極的にクラスとか関わってるらしい。

毎日ゆっくり話せるわけじゃないが、 話せる時には、友達とのやり取りがギャグを交えて、聞かせてもらってる。

母の人生初体験!母がいない時の様子を克明に話してくれる長男w

書字障害も中学では、得意な理科では支障がない程度。他科目では、週に1度くらい書ききれない日もあるそうだ。

夏休みの3者面談で、現状を話し、「2学期からノートを完璧に取りたい!」と言っていた。

5月から始めた試みで有効視野が上がり、初めて視覚の異常が具体的にわかってきた。

改善の見込みはまだまだある!

せっかくたくさんの方に見ていただけてるようなので、手探りしながら療育してきた結果をざっくり書いてみました。

似たようなところで悩んでいたり、困ってる方がいたら、アメブロの過去を見てみてください。

まだまだ発達途中の長男ですが、
専門家と話たり、発達障害本だけじゃなく、脳科学や運動科学の本を読みつつ、結構独自に実験してると自負してます。

数多タイプのある発達障害児。
専門家も、数パターンを当てはめるだけで、成果は上がらない事もあります。

我が家のやり方が万人に共通するかは保証しませんが、
専門家じゃない親もやれば、自分の子供限定の専門家にはなれると思ってます。

自分の子供の上げ方がわかれば、効率よく、楽しく療育していけます!
今まで取り組んで来た事が、何か改善のきっかけになれば嬉しいです。

経験記憶に優る記憶は無し!! 日本一周まであと少し! マイナーな子連れ旅ブログが書きたい!! よろしくお願いします!!