発達障害児の親が通る道

私の中なかなか良かった発達障害本シリーズのADHD版『ADHD子どもを育む DIRモデルにもとづいた関わり』の中にあった、発達障害児周囲(親や先生)の人のリアクションを分けたものが、ドンピシャで自分の前半部分に当てはまっていて、ドキリとしたものだ。

茂木健一郎さんが講演でおっしゃっていた『有益な障害』(確かそんな言葉だったはず💦有意義だったかな💦意味はあってる!w)で思い出した、発達障害児 親の精神的な行程。

私の場合、
①旦那のADHDを先に気づいていたので、子供の疑いに、まず間違いないだろうと理解してるつもりだったが、
『たまたま症状に当てはまった場面があっただけ。本来は普通で、少ししたら、普通に戻るはず』
まぁ、心の底は、発達障害否定だったのね。
文章としての理解と、実感はやはり別だったのね。

②少しして、どんどん不思議行動が増えるし、宇宙人だなと認識すると、腹の底まで、実感が染み込んだのね。
そうすると、『旦那の血筋』のせいだ。って、
悪い所は全部相手のせいにしてたのね。
良かった事に旦那は、ワーカーホリックでほぼ家庭参加が乏しいので、そこまで(母の八つ当たりの)被害に合わず、家庭崩壊は無かったのが、救いね。
で、遺伝って被害を受けた息子は『かわいそうな子』って位置づけね。

③で、色々解決方法探すけど、食だのなんかのプログラムだの、いろんな療育に偏って振り回されるのね。
高額な療育だと受けきれない経済に打ちのめされ、専門だと思ってる人から、曖昧な返答や、「このまま大人になると子供は大変だ」と同時に「見守りましょう」って、言われるのね。
この辺、本当に五里霧中。
何かしようとするのを諦めて『あたたかく見守りましょう』って事で、何かする事を放棄したいと思ったわ。

④で、沈む所まで沈んでた気がする。
将来の不安、周りの的が外れて逆に痛い心遣いとか、専門家に「怠惰か?」と突っ込みたい事とか、排除された経験とか、消化しきれないモヤモヤの中で、『発達障害』のせいで、思い出したくない事が増えてね。
『特化しなくていいから、普通の子であって欲しい』って思う事もあった。
その子自体の否定だね。
もちろんそんな事しても事態は変わらない。

⑤一通り嫌な考え通過したら、現在に幸せに感じられてない自分が嫌になるのね。
怠惰なあの人も、浅はかなあの人も、投げ捨てたあの人も、嫌だったから、そんな人の為に自分が不幸になるのが、もっと嫌なのね。
絶対「そんな事もあったね」って、鼻で笑ってやる!
って、反骨精神ねw
で、『すべての出来事があって良かった』って思えるには、どう変わればいいかな。と、考えを変換したのね。
これまで本読んで勉強してきた事を糧に、自己流で色々試してみればいいじゃん!ってなったのね。
『改善出来る』って言われたり、『治らない』って言われたり、思考がまとまらずめちゃくちゃだけど、目につく所で簡単そうな所から始めたのね。
うちはカミングアウトが早かったから、本人の不安な気持ちも、『今、改善策をやっている』って事で、不安を行動に転化出来たと思ってる。
どうせ変わらないなら、あがいてみればいいじゃないか。暇だと嫌な事ばかり考えちゃうから、忙しくして忘れよう。

⑥半年粘って、スローな改善ペースで、ウンザリしてくる。
こんな些細なことの改善にこんなにかかるのか…ってね。

⑦1年経つと、改善ペースが上がるのね。
改善出来るのが、当たり前になってくると、息子もノリノリになるので、訓練をヘビーにしていっても許される。
新しい事に前向きになる。
この辺でブログにまとめようと思ったのね。
余裕出てきたw

⑧問題も多彩だから、毎回行き詰まって、見方変えて、取り組んでいくと、回が重なると考える事が面倒くさくなくなってくるのね。

⑨ここ1年、無敵感w
同じミッションをクリアする子供と戦友気分。
今まであった全ての辛さはここに行き着く為だったのだな。
子供はもちろんだが、母の成長もすごいわ。
確実に自分レベルが上がった。
いろんな課題を辛い時もあるが乗り越え続け、根性とチャレンジ精神が養われた息子の行く末が楽しみだし、『発達障害』が無ければ、こんなに頑張る機会もなかったわけで、その点『発達障害児』で、得してるんじゃない⁈と思えるのよねw
もちろん課題はずっとあるが、そこに向き合える。その先に希望があるってのが、実感出来ている。崩しようのない肯定感だ!
母として、発達障害児の子育ての達成感は、半端ない!


発達障害の偉人の話。
何が無くてもいいじゃないか。その子が生きてさえいれば。
全ては素晴らしい個性だ。

発達障害児の肯定論でよく耳にするが、

偉人なんて、何千何万といる発達障害の何人ってっ確率だ?
発達障害児が大成する確率と定型発達児が大成する確率に差はあるのか?

生きてるだけで素晴らしいよ。
しかし、同じ人生の長さ。
流されるままに生きるのか、
自分で獲得していくのか。
自分の人生の姿勢を自分で選択させる余地を、『発達障害の特性』の目くらましに惑わされず、決めて欲しい。
その為に、自分の特性の認知、コントロールをこの社会に必要特性を訓練した方がいい。

いつどのタイミングで現れるかわからない素晴らしい個性。
その子の人生の中で、その個性が生きる場所に。活かせる環境に。活かせる土台を。
それを目標に、何か始めて、やり続けた方がいい。


茂木健一郎さんの話『有益な障害』だっけ?『有意義な障害』だっけ?
まだ、道半ばですが、今の所、うちの障害児は、母に有益で、有意義に日々過ごせてると思います。

経験記憶に優る記憶は無し!! 日本一周まであと少し! マイナーな子連れ旅ブログが書きたい!! よろしくお願いします!!