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『盗撮をやめられない男たち』斉藤 章佳

「ね、あんたの彼氏、さっき警察に連行されてったよ」

煙草をくわえながらその人は私の目を見ずに言い放った。
そこは自動車教習所の受付ロビー。
声をかけたのは軽口を叩き合える気のいい清掃員のおじちゃんだ。
そういえばさっきパトカーが駐車場に停まっていた。あのパトカーに彼は乗っていたのか。
私は膝が震え始めるのを感じながら、その場に立ちすくむ。

初めての恋人は通っていた教習所の教官だった。
私は19歳。本ばかり読んでいる内気な、それでいて自意識過剰で、人に嫌われないように迷惑がられないようにと、ただそれだけを考えて生きているオンナノコだった。その頃の私の日常は、べっとりと頬に張り付いた作り笑顔と共にいつも在った。

教習車の助手席に座る教官は本当にひとりひとり個性が違っていた。
いつも苦虫を嚙み潰したような顔をしている人、時間をやり過ごすことだけ考えて身の入らない指導をする人、ただ大きい声を出せばいいと思っている人。私はその日の教官の機嫌に合わせてキャラを変えていた。それはひどく疲れる作業だった。
そんな時、彼と出会った。
彼の指導は「車の運転は楽しいものである」ことと「誤ったら人の命を奪うことになる」ことをきちんと学ばせた。解りやすくて、とても丁寧な仕事をする人だった。

彼は私の前で完璧な紳士だった。
ルックスも爽やかで、それでいてどこか翳りもあり、教習所に通う女の子はみんな彼の隣で教習を受けたがった。
私にとっては初めて出会うタイプの、理性的で優しい大人の男性。
歳は8つも離れていたが、いつしか彼と教習車の中で会うことを楽しみにするようになり、私のほうからバレンタインのチョコを渡したことがきっかけで、外で二人で会うようになった。

男性恐怖症気味な内気なオンナノコだったので、当時の私にとっては二人で並んで歩くことすら大イベントだった。
「手をつないで歩いてみる?」と言われたときは恥ずかしくて「この次にしてもらってもいいですか」と言ってしまった。
男性に免疫がなくて何もできない晩稲な処女、といえば聞こえがいいが、私の脳内では実にいろいろな、けっこうえげつない妄想が駆け巡っていた。決して晩稲なんかではない。
だが、彼は本当に私を大切に扱ってくれた。
3カ月ほど経って初めてキスするとき、何度も「だいじょうぶ?」と聞いてくれた。まるで宝物を扱うように私に接してくれる彼に、尊敬の念すら芽生え始めていた。

「あんたの彼氏、教習車の中に小型カメラ仕込んでおいたらしいよ。それだけならバレなかったのに、馬鹿だから教習生のスカートの中に手をさ…」
「そんなの嘘。何かの間違いよっ!!」私はその先を聞くのを恐れた。
「こうこちゃんには黙ってたけどさ、実は前々から噂はあったんだよなぁ」
私は震える膝を抑え込みながらその場にしゃがむ。目の前がくらくらして吐き気がする。
そして、清掃員が私の肩を叩いて言った。

「あんたがいつまでもヤラせてやんないからタマってたんじゃないの」
下卑た笑い顔で私に投げられたこの言葉は、この先ずっと私を苛むことになる。

なぜ私がいるのにそんなことをしたのか、私に対するあの紳士的な態度はなんだったのかと考えても考えてもわからなくて、やがて私は考えることをきっぱりとやめた。
犯罪者と付き合っていたということを親にも友達にも誰にも知られたくない、そんな保身だけがあった。私はどうしようもなく未熟な子供だった。

斉藤 章佳著『盗撮をやめられない男たち』(扶桑社刊)を読んで、あれ以来一度も会っていない初めての恋人のことをまざまざと思い出した。
あれから何十年という時が流れ、私も孫がいる年齢になったが、初めての恋人が盗撮とわいせつ行為で逮捕されたということは十代の私には抱えきれない事実で、私は彼のことを忘れようと努め、そして心の奥の奥に封印してきたのだ。

" 私が大人の彼の性的欲求を慮らなかったから彼を犯罪者にしてしまった"
長い間、私は密かに自分を責めていた。私のせいで彼が逮捕までされてしまったことが、恐怖でしかなかった。

本書207ページ第7章【加害者家族の抱える苦悩】の中に[性犯罪者の妻が離婚理由しない理由]という小題がある。
「夫は性的犯罪さえ起こさなければとてもいい人、夫が性犯罪に走ったのは自分が性的に満足させていなかったのではないか」と自責する妻たちの声。これはかつての私、10代の頃の私が抱えた呵責とまったく同じである。
かつて清掃員が言った一言に苛まれた私だが、その苛まれた私こそが「男の性欲はパートナーが全てきちんと受け入れるべき」という偏見を持っていたことに気づかされた。
性犯罪の問題と性欲の問題を一緒くたにしていたのは私も同じだったのだ。

逮捕された彼は、本当に私の前ではこれ以上ないくらい紳士的で、確かに私を大事にしてくれていた。
でも、この本を読むといかに彼に認知の歪みが存在していたかが手に取るようにわかる。
教習車という、見方によっては二人きりの密室。
彼の盗撮依存は、不幸にもその仕事である「密室で行われる二人きりの時間」がトリガーとなってしまったのかもしれない。
その場所はれっきとした彼の「職場」であるはずなのに、彼にとって教習生は「自分の領域に入ってきた獲物」としか捉えていなかったとしたら。

今となってはもう悲しさもつらさもまったく湧かないが、この本は長年の私の謎をすべてクリアにしてくれた。
[好きな子の日記を盗み読むような快感とスリル]
盗撮の本質をズバリと一言で表したこの言葉は、すべての性犯罪が決して性欲のみに基づくものではないことをまざまざと示している。
そこには、盗撮を蔓延らせる日本社会の歪みと男尊女卑社会など、複雑な要因が絡む。

斉藤 章佳氏の著作は、痴漢や小児性愛などの性犯罪や、セックス依存症など、各種依存症についても鋭く切り込む名著が多い。
特にこの『盗撮をやめられない男たち』は、新しい気づきに触れることができ、非常に学びの多い、読み応えのある良書である。



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