ブートキャンプ振り返り(01’)

2019年4月13日に行われた2019年度Xデザイン学校の振り返り(2回目)。

今回は手元に何も資料を持たず、「どんなことしたか」、「どう感じていたか」を記録し、それに対して振り返りを行ってみた。


数年前の学びから自分の至らなさを感じて学び直しをして再チャレンジ。今回は学びの方法とデザイン関係のスキルをいくつか学んできたため、前回よりは学びを深められるのではと思い参加する

「考えが甘い!」
新たなことを学ぶ際には過去の学びを捨てること
※漢方薬の処方のようにジワジワと効いてくる

授業では前段階で知識の習得、後半でそれを活用したワークショップが行われる。知識は単に覚えただけでは使えず、内容を理解しないと後半のワークショップで活用ができない。わかっているけどハマってしまう。それが少しは改善できるかと思っていた。

後になってその前提が誤りだったと分かったが、妙にうれしかったことが不思議だった(何故か?)。振り返っていて後でわかった。

今回と次回でXデザイン学校の学びの全体像がつかめる、「Aを学ぶためにはA~Eまで学ぶ必要がある」と教えられる。浅野先生のワークショップはワークショップとワークショップを上手につないでいるとのこと。確かに前回参加した時は後半になってやっと前半の学びの大切さや全体像が理解できてきたしその通りだった…と思い出す。

「良い体験だった」と感じると多少の障壁があっても「選択」する

Xデザイン学校では「学び = 知識・技術 + 判断・態度」であり、「判断・態度」を学んでいく。「知識・技術」は過去の経験に紐づいたものであり、他に用いる時には一つ一つのスキルではなく、全体がつながっており、身に着けた知識や技術をどこでどう使うのか。今回は多少のスキルは身についているのでチャレンジしたら「判断・態度まで到達できるかも」と欲が出る。

成長と驕りは表裏一体、常に初心者の気持ちを意識したい

さらに「経験学習モデル」では「省察」と「概念化」が重要と教えらえる。ここでいつも自分自身が意識している「経験学習モデルの使い方」は学びのクラスが終わった後で実施することだったのだが、いつの間にかここで学んでいたはずの考え方が過去の考え方に置き換わっていた

「unlearn」できていない
「誤認」は過去の経験を元に「無意識」に行われている

チームに分かれてマシュマロチャレンジを行う。1回目、メンバーは自発的に案を提示し行動していた。物品は限られているため2人くらいが中心になって組み立てる。自分はそこに割って入れないと判断して紐を結んだりテープ貼りのサポートをしたり、メンバーに目標を確認するなどの活動を行う。最後になんとか立てることができ、結果が54㎝だった。無茶はせずに目標クリアを主眼においていたので目的は達成できた。

目標設定によってチームの行動(決断)が決まる

2回目は欲を出してもっと高い記録へのチャレンジを目標に掲げる。この時、他のチームのやり方を見て真似をするが、思ったよりも難しい事と1回目の学びを生かそうと力を入れすぎてスパゲティーを折るなどアクシデント(自分です)が発生。全員でリカバリーを目指すがパーツごとに分かれていく状況。元通りにするのは難しそうなので、声を掛け合って1回目の構造に似せて再度調整する。何とかバランスを保ちながら立っているタワーが完成。高さは足りなそうだがもう一度倒れたら復旧できる自信がない。2分ほど残っているが手を触れられない。でもこのままだと低い…。もう少し「何かしっかりしたもの」ができれば短時間で再チャレンジできるかも。残骸を使ってもう1つの土台作成にチャレンジする。テープで固定して1つの土台はできた…「終了!」。記録は40㎝前後と1回目に比べて低くなった。

「成果」を気にしすぎると小さくまとまって「チャレンジ」できない
「知恵」を移植しても必要な「スキル」が無ければ成功は難しい
限られた「作業スペース・材料」は取り組みの「ボトルネック」となる
「時間」が無いと「ディスカッション」よりも「作業」に集中
「保険」ができると「チャレンジ」できる
「チャレンジ」は必要だが「何を得るか」を意図しないと学びが少ない

次はチームを変えて「最悪の旅」について取り組む。その際、3回目(6月)のチームビルディングに向けた取り組みを強調される。上手くいくチームの要因として「強いリーダーシップ」、「皆の意見を聞く」、「皆が活躍するように」と教えられる。今度はこれを意識しなければいけないと思った。

得たインプットは「価値」と「運用」を考える必要がある

新たなメンバーなので進め方を考えながら、様子をみながらディスカッションが始まる。まずは個々の発想で意見を出し合う。色々な意見が出てきて面白い。メンバーの1人は活用しやすいように意見を項目分けしてくれた。自分は何をしよう…。そこで他のメンバーに問いかけて内容を確かめたり深めることを意識する。チームとしての動きは悪くない。

チームの能力が高まってよい成果を出せるように役割を見つけて貢献する

途中で浅野先生から「イシューを押さえる」という課題が加わる。「イシューは何だろう?」と投げかけるが答えが出てこない。時間は限られているし、作業としてのアイデア出しは続く。これは絶対に押さえないといけないと感じているが、時間までに成果物を作らないといけない…。チームはイシューはつかめていないが成果物を作ることを決断した。

何かを選択する際には何かを捨てなければならない(unlearn)
※たとえそれが大切だと感じるものであっても
「役割」は分担できても「課題の特定」は分担できない

1回目の発表。「いいですね。物語として捉えられており、登場人物などに幅を持たせることもできるし広がりを生じやすい。」と思ったよりも評価がよかった。この時、ウチのチームのよかったところが「ふんわり」としていてしっかりと掴めていなかった。何よりも萎縮していたところで意外な評価を頂いたので心にスキが生じた。

どんな状況に対しても常に学びの姿勢を失わないこと

次に他のチームのアイデアを使ってサービスを作るワークが提示される(既に数年前に体験していたはずだが予想外の展開)。新たな内容で新たなチャレンジを行わなければなない、先ほどのアイデアや学びを捨てなければならない、無意識のうちにそう判断していた。

概念が急に崩れても素早く客観的に状況把握を行わなければならない
無意識に行っている判断を意識化する必要がある

「何が最悪なんだろう」「どう変えよう」「さっきと同じ5W1Hで」とスタートラインに戻って進めていく。この時、「誰にとって」というところに着目して、「課題」が特定され「それを未然に防ごう」という方向に進んでいった。目の前にある文章を見ながら「何か深められていないな…」そんな印象があったので何度か「問いかけ」を行うが掴めない。時間に追われて作業を進める。

判断・態度が養われていなければ察知しても解決できない
進行中のプロジェクトは余力が無ければ不確定な作業に取り組みにくい

ある程度成果物が出来てきたところで浅野先生が内容をチェック。「こういうのがダメなんだよ」とコメントをいただく。「やってしまった…」、チームメンバーと一緒に焦る。でももう一度成果物を作る時間はない。これは発表して真摯に評価を受けるしかない…。「発表者は違う人にしてね」との指示があり、チームメンバーと話し合った結果、私が発表することになった。

外化することで評価が得られる(自分がわかる)
チームとしてメンバーと覚悟を決める瞬間がある

他のチームが発表していく。良い評価を受けている。「自分たちは何が悪かったのか」と思いながら聞いているうちに「概念化ができているね」との言葉に、「ああ、そうだったのか」と理解する。目の前の事象にとらわれ過ぎていて「概念化」して他への転用ができていないのか。確かににそうだと思った。イシューは「目の前の体験から概念を抽出し、別のサービスに転用する」ということだったのか。

他のメンバーと講師のやりとりからも学ぶ(アトリエ型WS)
求めている時ほど必要なものの存在(価値)がよくわかる

そして発表…。

「ブラックボックスを作っちゃダメ」
「何いっているかわからない」
「君たちはUXを学びにきたのに目の前の人の体験に着目していない」

前半の講義、途中からのヒント、そういったものからの学びが全く分かっていなかった。それがよく分かった。講評を受けながら自分の現状を理解した。そして、「ここから学ぼう。学べるようになろう。取り組み行なっていこう。」そう決意していた。

本気で取り組んでいる講師との対話は何物にも得難い
自分の現状を理解し、成長するチャンスがあることはうれしい

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