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【問題が起きる前に止めるのが、教育なのか?】TCS初代校長・市川力さん4/7 『探究対談』

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最近、学校のカリキュラムや学習塾で耳にする「探究」という言葉。なんとなく意味はわかっているつもりでも、「探究」とは、そもそも何なのか。これからの時代に必要な力についてアンテナを張っている人なら、1度は考えた問いではないでしょうか。

この「探究」の本質を、探究賢者とQ責任編集・炭谷俊樹が話していくのが、『探究対談』です。第1回目のゲストは、探究型の学びを行うマイクロスクール・東京コミュニティスクール(TCS)の初代校長であり、『探究する力』の著者である市川力さん

ラーンネットは設立から23年、TCSは設立から15年。時代に先駆けて探究型の学びを実践してきた2人が考える「本物の探究」とはなにか。実践してきたからこそ見える、今の景色とは? 「すみさん」「リキさん」と呼び合う2人が、15年前の出会いの様子から語りつくします。

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——カオスを扱うということに関して、「子ども1人1人の関心がバラバラな中、果たして学校という集団で成立するのか?」と疑問に思う先生は多いと思うんだけど、リキさんが関わり方で工夫していることは?

市川:ラーンネットはその子その子がやりたいことをやり続けるような時間を大事にしているという印象がありますが、TCSはグループで一つのミッションに取り組むテーマ学習が特徴になりました。でも当初は、個々でバラバラな関心をどう一つにまとめればいいのだろうと悩みました。

ところがある時、個々の関心がバラバラだからこそ探究が深まることがあると気づいたんです。だいたい6〜7人でグループを組んでミッションに取り組むわけだけど、それぞれの関心の偏りが、お互いのバイアスを外すのに役立つ。

最近、話題にのぼることも多い行動経済学では、自分の思い込みのバイアスを外すことの難しさが指摘されますよね。自分一人だけでバイアスを外すことはなかなか難しい。 そんな時、それぞれが素の思いつきを語りあう。

語りあっている時に、そばにいる大人が「お前の考え方のこういうところがよくないからダメだ」なんて言ったら、子どもはフタを閉じちゃう。そうじゃなくて、「面白いね、俺だけだったら気づけなかったよ」と言うことでみんなで意見を重ねていくことの面白さに気づいていく。

——本来、子どもは発表したくてしたくてしょうがないですよね。自分の意見を抑えなくていいとわかったら、どんどん言うようになる。

市川:あるテーマに対して論理的な見方をする子もいれば、空想的な見方をする子もいる。複数の関心があることで、多面的なものの見方というのが、初めて目覚めてくる。ディスカッションでは、自分がどう感じたかを素直に表現していいんです。

僕も本気でそこに混ざっていきます。「いや、俺は違う」とかね。でもそれは「僕の意見は違う」と言ってるだけで、「これが正解です」とか「君の意見はおかしい」とかではない。みんな正解じゃない、だからこそ、自分らしい意見をとりあえず言うことから始めようというメッセージなんです。僕も必死に考えて発言するし、子どもも本気で反論してくる。探究する同志という意味で子どもと同等です。

こんなこと言ったら恥ずかしい、おかしいと言われるんじゃないかという雰囲気を消し、なんとなくの気づきを受けとめ、異議申し立てを受け入れながら、ただの否定ではなく面白さを見つけて、みんなで自分らしい意見を出し合うんです。すると面白いことに、意見が対立してバラバラになるんじゃなくて、複数の意見が重なりあって深みのある意見に育ってゆくんです。

——従来のあり方だと、「正解はないし、自分の感じたとおりに表現していい」とはなってないんですよ。幼児でも先生の顔色見て、「これしていい?」と聞いてくる子が結構いる。ナビゲーターや子ども同士で、お互いに学び合っていける、という前提がないんですよね。

市川:大人の「指導」より、上の学年の子からのアドバイスがよかったりするんですよ。一言もプレゼンできなかった1年生の子に「俺も1年の時はこんなだったよ。じっと黙って立つのもいい経験だよね」というようなことをさりげなく言う。

可哀想だからなぐさめるとか、自己肯定感をあげるためにとかじゃなくて、人間は学ぶ力があるって本気で信じているんですよ。そこが子どものすごさですね。

もちろん子どもはいいことばかりするわけじゃなくて、不適切な言動はするし喧嘩もする。その時は、「俺こういうのイライラするなぁ」と自分が感じることを言ったり、「暴力的解決で済むんだったら探究する必要ないよね」とはっきり伝えます。ただ、やらかした子ども達側が感じていることや理由もしっかり受けとめてじっくり考える時間をとります。

そんな時間はなかなかとれないって言われることがあるけど、むしろ、そういう時間こそ大きな学びのチャンスなんだから、全然、遠回りでも無駄でもないですよ。問題が起きる前に止めるんじゃなくて、大問題になる前に、どうしてこれが問題なんだろうって考える時間がすごく重要ですよね。

——問題をなくすことは不可能だよね。大事なのは、問題があった時に解決する力。それをつけておかないと。

市川:「探究っていうキーワードの反対語は、教育かもしれない」と最近よく思います。これまでの社会においては、画一化し、平準化する教育が通用した。探究心が必要なのは、一部の地頭のいい子、リーダーとなる人やいろいろな分野でグローバルに活躍する人だけだと思われてきた。

でも、本来すべての人が探究的な生き方ができるし、これからはそうすることが求められる。教育で身につけられる部分はほんのわずか。人間が持ち合わせている力を発揮して探究する人生を面白がることこそ学びです。

——あんまり探究を知らない人にとっては、僕が『第3の教育』という著書で定義した、「第2の教育」と「第3の教育」の区別が難しいみたいなんですよね。最近の親御さんの傾向でも、子どもに好きなことをやらせる人は増えてる。全然コントロールせず、子どもにまかせてしまって困っちゃうっていうのも結構ある。それは僕が言う「第2の教育」のパターン。

学校って、枠があることが大事なんですよね。「全部なんでも好き勝手やっていいんだったら家でやってください」になる。好奇心だけで好き放題やっていいわけではないし、人を傷つけちゃダメ。枠があって、その枠の中でも選択の自由があって子どもが好きなことを選べるのが、「第3の教育」です。

「第2の教育」で子どもにすべて自由にさせると、こんなのダメじゃないか、しっかり管理する「第1の教育」に戻りましょうという揺り戻しがくる。この繰り返しを歴史的にもやっているんです。

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