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いまさらながら、「ほぼ日」のファンになったわけ(田中)

「生活のたのしみ展」5日間が、終わりました。

ただ自分が「おいしい!」と思ったもの、ほしいもの、よろこんだものをひたすら書く。それに対して毎日たくさん、「読んでます!」「レポートに書いてたあれ、買ったよ」と声をかけていただく。

だれかをわくわくさせられてるんだなあ、という実感が持てて、書くのがたのしくて仕方ない5日間でした。

(初日の記事、もはやなつかしい)

うーん、最後になにを書こう。いろいろ書きたいことはあるけれど、今回レポーターとして参加して、お客さんでも運営でもない、グラデーションの間にいて感じたことを書こうかなと。初日の永田さんのnoteと少しかぶっちゃうかもですが。

わたしは今回、レポートは基本的に控え室で書いていました。控え室は、ほぼ日の方も、出店者・出演者の方も、アルバイトの方も、みんなが集まる「基地」のような場所。ここでわたしは、毎日静かに、モーレツに感動していたんです。

何にって、ほぼ日のみなさんの「はたらきぶり」に。

「生活のたのしみ展」でいちばんびっくりしたのは、おおげさじゃなく、レポートを書いて顔を上げるごとに「もっとよくなっていく」ことでした。

「とりあえずこんなもんでよくない?」という空気が一切なくて、「もっとよくできる」とみなさんが考えていて、もっと親切でもっとたのしい場をつくろうとしていて。最後の2日間はあいにくの天気だったけれど、ほぼ日のみなさんが最善を追求したから「あいにく」になりませんでした。

(この読み物看板も、たしか途中で追加されてました。列に並ぶお客さんが読むものがあるとうれしいよね、と)

「こうしたらどうかな?」とだれかが提案して、「そうしよう!」と現場ですぐに決める。「看板お願い!」とオーダーして、「了解!」とすぐにつくりだす。

「ありがとう」「ごめん」「大丈夫!」「わたしやるよ!」・・・・。現場と「基地」をものすごい情報が行き来する中で、こういう言葉たちを何度耳にしたかわかりません。同時に、こちらが思わずくすっと笑ってしまうような雑談にもあふれていました。本気でやってるのに、真剣なのに、みんなごきげん。

いわゆるビジネス書で「いい会社」と言われる要素を煮詰めたようなチームで、ものすごい量の意思決定(のほんの一部)と、ものすごい労力(のほんの一部)を横目で見ながら、毎日毎日感動していました。 

これが、ほぼ日という会社なんだ。

・・・・じつは。わたし、いままで「ほぼ日」を好きになりすぎないように気をつけてたんです。ほら、バトンズはいま、古賀とわたし2人の会社で、古賀は筋金入りのほぼ日ファン。だから、わたしは距離を置いてバランスを取らなければ、とね。いや、我ながらほんと意味不明なんですが。

でも、今回少しだけ一緒に働かせていただいて、この意味不明な使命感を捨てようと思いました。ほぼ日のみなさんが「もっとおもしろくできる」と思ってつくったコンテンツ、遠慮なく読みたいですもん。


最後に。こんな機会をくださったほぼ日のみなさん、noteのみなさん、ありがとうございました。読んでくださったみなさん、声をかけてくださったみなさんにも、感謝申し上げます。古賀さんに巻き込まれて、こんな経験ができて、ものすごくたのしかったです。