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さみしさから遠く離れて。

「それはさ、ぼくと同じセンチメンタル派の感情なんだよ」

最終日の夕方だったか夜だったか、控え室で糸井さんや乗組員のみなさんと雑談しているとき、糸井さんはそう言った。いったいどういうことか、説明しよう。

たとえば海外旅行に出かけるとき。もともとぼくのあたまのなかには、普段は使わない砂時計が置かれている。そして、行きの空港に着いたあたりでセンチメンタルのかみさまが、砂時計をひっくり返す。おおきくもちいさくもない砂時計は、静かに、糸を引くようにその砂を垂下させる。この「たのしい時間」は永遠に続くはずもない、限りある砂時計の時間なのだ。ぼくはもう、行きの飛行機からさみしくなっている。「ほぼ日」さんの企画で車で気仙沼まで行ったときもそうだった。犬を連れて海岸沿いのホテルに旅したときもそうだった。すべての旅は、初日からさみしい。すべての旅は、センチメンタル・ジャーニーだ。

だから当然、今回の「生活のたのしみ展」も初日からさみしかった。初日の「いよいよオープン!」な高揚感、「どんな人に、どうやって声をかけてインタビューしよう?」のドキドキ、「どのタイミングでお昼を食べたらいいんだろう?」のあわあわ、そして「もうこんな時間!」の驚き。ひとつひとつの初体験が通り過ぎていくごとにぼくは、ちくちくとしたさみしさを感じていた。

そして初日の夜、ぼくはもう決めていた。勝手に決めていた。どんなかたちでもいいから、次の「たのしみ展」にも参加しよう、と。それだったらきょうという日もさみしくなくなるし、あしたという日もたのしみになる。なんといっても、この場にいることがたのしすぎるのだ。

ああ、日をまたがずに、どうにか夜通し起きたままのあたまで書けばよかったな。いまこうやって書こうとすると、どうしてもセンチメンタルな振り返りになっちゃうよ。

・前田智洋さんに、控え室でマジックを披露していただいた。

・和田ラヂヲ先生に、似顔絵を描いていただいた。

・ワゴン販売をするとき、ほぼ日・細井さんが大声で「コガマサタケさんが本を販売しておりますー!」と叫んでいた。

・名前の読み間違えに気づいた細井さん、同じく大声で「古賀史健が、なんでもしますー!」と叫んでいた(サインでも握手でも写真でも、の意)。

・その日2回目のワゴン販売に出ると、細井さんが「ベストセラー作家の古賀史健が、戻ってまいりましたー!」と叫んでいた。

・お会いしたかったたくさんの人に会えた。

・それよりずっとずっとたくさんの、はじめましての人に会えた。

・すれ違う「ほぼ日」乗組員の方々、出店者の方々、アルバイトの方々、みんな気持ちのよい笑顔であいさつしてくれた。

・予定していたよりは数が少なくなってしまったけれど、それでもたくさんの方々にインタビューさせていただくことができた。

みんな、みんな、聞けば聞くほどすてきな方々だった。すべての人生と日常に「いいね」を押したくなるような、まぶしくうれしいお話ばかりだった。



もちろん最後にお話を伺った、この方も。

初日から予感していたことだけれど、この5日間の経験を経てぼくは、おおきく成長できたんじゃないかと思う。ずるっとひと皮、むけたんじゃないかと思う。どこがどう変わったのかはまだわからないものの、いま自分が違う目と耳と鼻をもっていることが、なんとなくわかる。おいしいものばっかり食べ過ぎちゃって、舌まで変わってしまったのかもしれない。

いや、きっとこれはぼくだけじゃないはずだ。「生活のたのしみ展」に参加し、日常に戻っていった多くのみなさんもまた、目や、耳や、鼻や舌が、少しだけ変わっているはずなのだ。いまはさみしさの影に隠れているかもしれないけれど、これからの日常はこれまでの日常とちょっと違っているはずなのだ。


古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』という本の準備段階からいろいろとお世話になった「ほぼ日」のみなさん、どうもありがとうございました。そしてこの note という場所を提供し、さまざまなかたちで応援し、盛り上げてくださったピース・オブ・ケイクのみなさん、どうもありがとうございました。さらには連日にわたって活躍してくださった出店者のみなさん、アルバイトスタッフのみなさん、どうもありがとうございました。

そしてそしてなんといっても、お客さんの立場から「生活のたのしみ展」という場をつくり、これ以上ないかたちで盛り上げてくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。

またどこかでお目にかかれることを願って、そしてこれからもずっとつながっていることを信じて、おわりの挨拶とさせていただきます。

「あーーーー、たのしかったぁーー!」