“不思議の国の少女たち”によせて(あるいはもう帰りようのないあの場所へのラブレター)


  むかし繰り返し同じ場所の夢をみた。そこは“百貨店”と呼ばれていた。赤茶色をした煉瓦造りの、せいぜい四階だて程度の小ぶりな建物だ。建物のなかには、形も大きさも色もばらばらのドアをいくつも従えながら、自在にうねる背骨のように螺旋階段が一本走っていた。螺旋階段に添うようにして、縦に細長い、色とりどりのステンドグラスが連なっており、晴れていればきっと虹の海のなかを泳ぐようだったろうと思うが、残念なことに、私が階段を昇るときはいつだって外は土砂降りだった。屋上にまで辿り着くと、景色が一変するのも夢の常だった。屋上は広々とした温室で、透明なガラス張りの屋根の向こうはいつ行っても青かった。温室内では、南国の植物が競い合うようにして胸を張っており、そこを搔きわけるようにして歩くと、時折野生動物を模した精巧で大きなぬいぐるみに遭遇した。ぬいぐるみは、虎もいればオランウータンもいたし、北極熊を見かけることもあった。
  さらに掻き分けていくと、突然ぽかりと空間があいて、華奢なつくりをしたテーブルセットに、お茶の準備がされているところに辿り着く。真っ白で洒落たティーポットは熱く、ティーカップに紅茶を注ぐともくりと厚みのある湯気を立てた。いつ訪れてもお茶の準備をしてくれた誰かと行き合うことはついぞなく、中学生ごろを最後に、私はいつのまにか“百貨店”の夢を見なくなった。
ショーニン・マグワイア“不思議の国の少女たち”三部作を読んでから、あの“百貨店”は異世界へ、あるいは冥界へ、またあるいは荒野へと向かうためのプラットホームだったのかもしれないと思うようになった。ドアのひとつでも開けてみれば良かった、と口惜しさでこめかみがキュッとする。ここではない、もっと自由で美しい場所の一部になりそびれてしまったと考えると、自分がひどくみじめで不恰好に感じる。
  ファンタジー世界についての物語は、勇気や優しさや希望や高揚感についてばかり描いているようでいてその実、読み手に喪失感を突きつけてくる。“不思議の国の少女たち”シリーズでは、みんながうっすらとわかりつつも目を逸らしていたその喪失感を切り取って断面から滴る血も鮮やかなまま掲げてみせるものだから、私たちはうろたえながらも目を離せない。本を閉じ、裏表紙を目にするたび思い知る。心地よかったはずの興奮はしぼみ、じわじわともの悲しさに侵食されていく。あの充足しきった想像力の世界から投げ飛ばされてしまった。そんなこと、決して望んではいなかったのに。
  しかし“不思議の国の少女たち”は断じて残酷な物語ではなくて、私たちが想像力の途切れたその先で生きのびねばならなくなったとき、想像力の世界がくれたものを捨てなくても良いことを教えてくれる。それだけには留まらず、想像力の世界で得たものは、その世界のそとにいる私たちの筋肉になり腱になり血液になり、絶え間なく収縮し弾み巡ることで私たちを生かすのだ。
“不思議の国の少女たち”とそれに連なる作品は、喪失についての心から優しい物語であるだけでなく、私たちがそれぞれに自分らしくあること、それがいかに自由であり尊重されるべきかという話もしてくれる。登場する少年少女たちは、セクシュアリティも出身も人種も、身体的特徴もさまざまだ。あなたの世界がバニラの匂いで包まれているのも、私の世界が硫黄と熱に満ちているのも、どちらもなんの問題もなく、他者から干渉されるいわれはない。

  19歳のときの解剖実習は、私が異世界に行く一番最後のチャンスだったのだろうとなかば真剣に考えている。私はくたくたで、日々に倦んでいて、そのとき自分が置かれていた環境から離れたかったのに、そのためにどうしたらいいのかの手がかりはひとつも得られなくて、ただ途方に暮れていた。
  私は医者になんてなりたくなかった。医学部に進学したくせにひどく矛盾しているが、医者という職業を卑しいものだと思っている節があった。社会的地位や安定した生活、そういったたいそう俗なものに魂を売ったくせに、まるで立派で高潔であるかのように振る舞い、またそうあるように期待されていることが気持ち悪かった。他者だけを嫌悪していれば良いならまだしも、自分自身の卑しさを見て見ぬ振りするのは難しく、結果として私はずっと不機嫌だった。
  結局、胴体から切り離された挙句に皮という皮が全部ぺろりと剥がされた首が私に語りかけてきたり、その饒舌な首の勧めにしたがって解剖台の下から続く、本来ならあるはずのない階段を降りて冷たくて硬い死の国への道を行ったりする前に、私の生活はそこそこ破綻し、そのあと時間をかけて、ぎこちなくではあるが現実に適応するすべを覚えた。
  実際医者になってみると、虚栄心だけでこなすにはやや過酷すぎる仕事だし、認め難いことにそこには職業的な喜びも楽しみも存在するのだった。確かに同業者のなかにはどうしようもない人間もいるが、医者だからどうしようもない人間が特別に多い、というほどではない。仕事をしたくなくてしたくなくてしたくなくて死にそうなときはあるものの、死の国の生温い呼吸をすぐ近くで感じるようなことは、少なくとも今はない。
  ひょっとしたら私は、居残りして解剖学の試験に備えていたあの日に死の国へと出向いていて、冥界の女王の口づけを旋毛に受けたのかもしれなかった。そしてうっかりとこちらの世界へ舞い戻ってきてしまい、“不思議の国の少女たち”の作中では直接に登場しなかった多くの子供たちと同様、死の国での出来事を遠い夢の記憶か、頭のすみっこにわき上がった泡みたいなバグとして処理しているだけかもしれない。その思いつきは私をひどく孤独で、しかしあたたかい気持ちにさせる。いつ行っても温室で紅茶を用意してくれていた、見えない誰かの透明な手を思う。

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488567026

不思議の国の少女たち ショーニン・マグワイア

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楽しい人生

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