物欲日記 10

2018/7/1

おおよそ三年前の春、私も家人もどこにも属さず寒気がするぐらい不安定で自由だったあのころ、家人がつくったベーグルサンドを持って近所の川べりで夢みたいなお花見をした。
満開になりたての花がひっきりなしに強風のせいで散らされて、泥色をした水面がだんだんと薄紅色になっていくのを見た。天気のよい平日の昼間、家人とふたり手をつないで、亡霊のように歩いた。
そもそもが限界だったのだ。ふたりきりの生活が始まるや否や、家人は寝込んだ。まともに寝込むために実家を出たようなものだった。
私は少し働いては少し勉強をして暮らした。家人も動けるときは働いたが、二人ぶん合わせても収入は微々たるものだった。ひたすらに切り詰め、ブルボンの袋菓子が特別に安い近所のスーパーでは、今週はホワイトロリータにするかルマンドにするか、いつも話し合って決めた。
贅沢をしてもいい日には、近くの小さなパン屋やケーキ屋でささやかな豪遊をした。ときおり連れ立って映画館や美術館に行くのを楽しみにしていた。最寄り駅のすぐそばに小さくて清潔なミニシアターがあって、平日の昼間から快活な老人や眠たげな学生にしばしば混じった。
あるとき、家人が家のすぐそばのブックオフで、漫画や本を大量に買ってくることが続いた。そのほとんどは、特別欲しいものでも必要なものでもなさそうだった。その日起き上がれるかどうかも朝になってみなくてはわからなかった家人が、何かを自由にコントロールできた気になれる、数少ない機会だったのだと思う。しかし、必需品とは言い難いものに一度に一万円近く飛んでしまう、それが繰り返されるのは、とても続けられることではなかった。「本とか漫画ならいいかと思って」と繰り返す家人にそれを告げるのはひどく心苦しかったけれど、勇気を振り絞って「図書館に行こうよ」と伝えた。素直に頷く家人が痛々しく思え、その一方で安堵もした。
ヒヤシンス先生は私たちの暮らしを気にかけつつ面白がっていた。もらいものだという美味しくない加工肉や、古びた石鹸などの品々をたまにくれては、私たちのことを気にかけるついでに不用品を片づけたりしていたようである。ちっとも使用感のよくない少し黄みがかった石鹸たちは、金箔が練り込まれていたり、使い続けるとちいさな造花が顔をのぞかせたりした。

少々の努力と時間の経過により、次の春には私は本格的な労働を始めることとなった。それは、いくらか安定した収入が得られるようになるということと、地につける足もなくしてしまったようなすきまの時間が終わるということの両方を意味していた。家人はふとしたきっかけで漫画を描きはじめ、それを楽しんでいるようだった。やむにやまれぬ、というつもりで始めた図書館通いが思いのほか有意義であるらしかった。
慌ただしく新生活にむけた準備が始まった。しばらく壊れたままにしていた布団ケースを購入し直そうと最寄り駅そばのイトーヨーカドーを訪れたとき、それまで横目で見るだけだった雑貨屋に、なんとなしに入ってみた。そこには猫の形を模したビーズがなかで動くマウスパッドから、建付けの悪そうなテーブルまで、ありとあらゆる不要なものが揃っていた。小さな店舗の、さらに小さな食器コーナーに、白く浮かび上がる一角があった。
それは、花をまとう妖精の絵があしらわれた食器たちだった。やわらかく華やかな絵柄だが、よくみると存外にシンプルな線で描かれていて、詩情のなかに理性と孤独の気配があった。あとで知ったことだが、エルサ・ベスコフというスウェーデンの絵本作家の作品からモチーフを切り出して食器の意匠に用いたシリーズとのことだった。真っ白で滑らかな磁器の表面には、それぞれ妖精たちがつらなるように反復されていた。
白い菫の花を帽子がわりにうつむく妖精のカップと、蒲公英の花をかぶって微笑み踊る妖精のカップとをふたつ、選びとった。会計を待ちながらふと、今年の桜は昨年のようには眺められないだろうと気が付いた。亡霊のような自分のことが、実は決して嫌いではなかったことには気が付かなかったふりをした。振り返ると、たった1年間のことだったのだ。永遠に続くようにも思えたが、そうではないことを最初から知ってもいた。妖精と亡霊は、ひょっとしたら少し似ているのかもしれないとも考えて、自分の調子の良さに少しおかしくなった。


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