さよならの飛行機
放課後、空から紙飛行機が飛んできたのは初めてだった。
思わず私はその紙飛行機を受け取った。ただの紙なのにずっしりと重い感じがした。
空を仰ぐ。
私は目を剥いた。
墜落中の紙飛行機は私が受け止めた一つじゃない。10、20、それ以上の数の紙飛行機が次々に落ちてくる。
昨日は雨が降っていた。だから水はけの悪いこの学校の地面にはいくつも水たまりができていた。ここに落ちたら紙飛行機達がかわいそうで、私は泥を跳ね飛ばし、必死になって紙飛行機を受け止める。それでもいくつ水上に不時着してしまう。
そんなことも知らない幹線塔はまだまだ飛行機に出発の合図をしているらしい。また一機窓から飛び出した。
一体誰がこんなことをしているんだろう。
ふと、受け取った紙飛行機に薄い線が走っていることに気づく。
広げる。それは切り取られたノートだった。癖のある読みにくい文字で書かれた文、そこに添えられた絵には見覚えがある。
それを書く姿をずっと隣で見ていたから。
なのになんでこうして紙飛行機にしてしまっているのかわからなかった。
私は階段を二弾飛ばしで上った。運動部でもないのによくやったと思う。
きっと階段の下からだとスカートの中が見えちゃうかもしれないけど、今回ばかりは許そう。でも後で絶対ぶっ飛ばす。
校舎の三階まで登るのはなかなか疲れた。息が切れる。首元を締める蝶々結びのボウタイが邪魔で、私は雑に取り、第一ボタンを開ける。すぐに汗ばんで、シャツが張り付く。汗っかきなところは嫌いだったけど、今は気にしていられない。
一刻も早く止めなきゃ。
私は勢いよくドアを開ける。
たった一人だけ、教室に残ってた。
線の細いシルエットに重めの髪型。白のワイシャツ姿の新太は机に座り、開いた窓から外を眺めていた。そして何個も作りおかれた紙飛行機の一つをとって、外に投げる。
なにか嫌なことでもあった?
うん。
新太はうなずく。そしてまた一つ外に飛ばす。
このノートさ、一緒にまとめてくれてありがとね。
それはノートがもう必要なくなった、って意味?
うん。もう必要ないんだ。
新太は人を覚えることができない。
名前も顔も性格も、一度覚えてもすべてを忘れてしまう。そういう障害なのだそうだ。
そのままではあまりに人と接するのが難しい。それを克服するために作ったのが友達ノートだった。
あそこにはこれまで新太と接してきた人の名前も、顔も、性格も、良いところも、楽しかった記憶も詰まっている。
友達ノートを手放すということはこのクラスでの出来事と人間関係をすべてリセットするということだ。
一緒に手伝った私にも思入れがあったけど、それはきっと新太の方が強い。
なにがあったの?
転校することになった。
新太は顔色を変えずにポツリと言った。
せっかくみんなに手伝ってもらったのに、これじゃあ意味ないじゃないか。まるで全部が無駄になった。僕がやったことならまだ納得できる。でも、親の都合でなんて、納得できないよ……。
髪の間を縫って除く新太の目は真っ赤に晴れていた。そこからまた涙が沸き上がる。無表情なままなのに、ぽろぽろ落ちては机で弾ける。
無駄になんか、なってないよ。
でも、みんなの時間を奪って作ったこれは次の学校じゃ使えない。ただの落書き帳と同じじゃないか。
私はそうは思わない。だってそれを作ったから、私たちは友達になれたんだから。大切なのはそのノートじゃない。友達ノートは新太が友達を作るための手段なんだよ。
友達に……なれてたのかな。
じゃあ、外を見て。
私が言って初めて新太の目の色が変わる。
やっぱりそうだ。転校の話がショックすぎて、新太は外を見ているようで、見えなくなっていたんだ。
外にはブルーシートが広がっている。彼の投げた紙飛行機がこれ以上不時着してしまわないように。そしてそれを広げていたのは新太のノートに名前が刻まれた友達だった。
おーーーい! ぼーっとしてると危ないぞー!
俺のやつ紙飛行機にして投げたらぶっ飛ばすぞ!
私はもう飛んできちゃった! 投げ返すよ!?
たくさんの声が飛んでくる。それらはすべて新太に向かって。
なんで、みんな……。僕なんかに……。
新太はノートで友達のいいところいっぱい書いたでしょ。同じだよ。みんな同じように、心の中に新太のいいところをいっぱい書いてたんだ。
目元が熱くなる。心の中のどこかで新太と同じことを思っているからだ。無駄になっちゃうんじゃないかって思ってるからだ。
でも無駄にするのは親の都合じゃないと思う。
私たち自身がその関係をどう考えるかにかかっている。
私は言った。
離れても私たちは友達なんだ。新太が私たちの顔を覚えることができなくても、私たちは覚えているから。だから、また会おうよ。
新太はいつの間にか泣いていた。私も自分の言葉に必死で、自分も泣いていることに遅れて気づく。
また会ってもらえるかな。
新太は言った。
もう紙飛行機は飛ばさなかった。
僕は人を覚えることができない。
名前も、顔も、性格も、良いところも、楽しかった記憶もすべてを忘れてしまう。
そのせいでずっと友達ができなかった。クラスで話すことも、誰かと話すことが楽しいと思えるようになることも夢のまた夢だとさえ思っていた。
だけど違った。
きっかけは君が僕を面白がってくれたから。
僕に変わるきっかけをくれたんだ。
そのおかげで僕は今、ここにいる。あのとき君と出会っていなかったらこの世界とさよならしていたかもしれない。それを救ってくれたのは君なんだ。
バスを降りる。
日差しが強いが、やっぱりこっちは涼しい。東京と大違いだ。
僕がこの土地を離れて二年になる。ここに戻ってきたのは一通の手紙がきっかけだった。
同窓会を開くから戻ってこい。
君らしい筆圧の強い文字だった。
荷物は最低限しかない。だけど、その中にボロボロのノートが入っている。全部ちぎられた跡があったり、泥の染みがあったり、折り畳んであったりと、状態は良くない。いまどき紐で結ばれたノートもそうないだろう。
だけど、そこにはたくさんの大切な名前がある。似顔絵がある。いいところがかいてある。出来事の記憶がある。
彼女が言っていた通り、それは手段だ。僕と僕以外と世界を結ぶ手段。
大切なのはノートが繋いだ先を大事にしたいという想いなんだ。
僕は一度それを履き違えた。その間違いをこのつぎはぎだらけでボロボロのノートが教えてくれる。
あ、やっときた!
待ち合わせ場所につくと彼女がいた。美少女だった。一瞬誰かわからなくなりそうになるけど、大丈夫だ。僕もこの二年間、なにもしなかったわけじゃない。
藍沢……由香さん。
彼女は驚き、そして笑う。
覚えててくれたんだ。ありがと。
彼女は笑う。それは夏のひまわりによく似ていた。
さあいくよ! みんな待ってたんだから!
今日は泣かない。そう決めていた。再会は笑って迎えるべきだと思っていたから。
だけど、それは無理そうだ。
熱くなる目元がちょっと無様な未来を教えてくれているようだった。
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