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個別最適化学習

教育は身の丈にあったもので済ますものではない。どんな背景でどんな家庭に生まれどう育っていても、ある教育の場所で学ぶことが、その学習者自身に得るものがあり発見につながり、自立していくまでを伴走するものでありたい。

銀行時代の友人と連れ立って鳥取県の中高一貫校の見学勉強会に行ってきた。ICTとか、図書館の中に学校があることとか、探求学習とか、キーワードが沢山あった。校長先生も副校長先生も司書先生もステキだった。(こういう文章力のなさをこれから鍛えて表現できるようになりたい、まず1000本ノックなので、今日はこうやってステキでごまかすわたしのままでとにかく書く)県内・県外から参加したおそらく教育関係者の方々はあまり質問がなかったようだった。わたしは三回、友人も三回質問した。聞きたいことがたくさんあったから。ひとつ覚えている教育関係者の方の質問は、決められた学習内容を前倒しして終わらせてから、探求学習を取り入れたいのだが、時間がない。どうしたらいいのだろうか。

その場ではイケてない質問だなあ、とわたし白目をむいてた。ふとそれを思い出したら、教育現場では教えなくてはならない学習内容が沢山あって、それは省くことができなくて、順を追って教えることになっているので、スピードを上げていくしか、他の事を取り入れる物理的な時間がないのだろうか、と思いついた。

クラスルーム型の授業から、個別最適化にシフトするにはどうしたらいいのだろうか。わたしはクラスルームではいつも空想していて時間が経つのを我慢して待っていた。その日の鳥取の英語の授業は読む・聞く・話す・書くを40分間立って答えたりタブレットつかったり、白板を書き写したり、3人チームで神経衰弱したりして、空想するヒマがなかった。3人チームは教えあったりヒントを出しあったり、そしてその3人がどんどん組替えしていって、授業の最後は汗をかいていた。数学の先生はわからないところをわからないと言えるようになることが大切で、それは先生には言わなくても同級生に言えるようになるとおっしゃった。True Colorsを教材にした英語の先生は生徒と仲間のようだった。先生もうんと楽しそうにしていて参観しているわたしまで楽しくなった。

教育は等しく機会を提供しなければならない、講義がつまらなくて空想している子にも、講義がわからなくてうつむいている子にも、その子たちの時間を有効なものにしてその子らに帰してやりたい。学びのペースも興味もそれぞれ異なるはず。ここまでは必ず大人になる準備、という学びの内容は、誰一人置いてきぼりにしないで一緒に進みたい。そう思う。何かかたちにしたいと強く思う。(思うだけじゃなくて進みたい)

続く

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