恋とも言えないようなものだった

これは、私がはてなブログに2回に分けて書いた文章で、実話である。アクセス数が良かったのでこちらにも載せておく。

度々書いているが、私は小学生の時に性犯罪の被害に遭った。幼いが故にその意味が解らず中学生までは普通に過ごしていられたが、高校入学の直前にフラッシュバックが起きて同年代の男子と会話が出来なくなった。つまり、加害者がその年代であった。
 

私が通っていた高校は共学校だったが、女子の人数の方が圧倒的に多い。男子生徒が少ないせいか、女子の中には若い教員に熱をあげる者も多かった。当時の人気を二分していたのは、古文と体育の教師だった。
古文の教師は長身のイケメンで、体育教師は背が低かったが運動神経が抜群だった。模範演技をして見せると女子がキャアキャアと黄色い声をあげた。
二人とも自分がモテるのをまんざらでもなさそうにしていた。
教師を好きになった女の子達は、例えばTVアイドルへの憧れ等とは違って「本気」なのだった。
教師達が彼女らを「一生徒」「子供」として扱う事に苛立ち、自分の「若さ」や「女」という武器を使っていつかきっと「本気」の思いを遂げようとしていた。
自分以外の誰が同じ先生を狙っているのかを気にしたり、自分がどんなに先生を愛しているかを熱弁しているうちに感極まって、教室で号泣したりした。
そんな様子を見聞きする度に、私には到底理解できない感覚だと思った。
どうか、彼女達が早く目を覚ましますように。
まかり間違っても教師達が女生徒の誘いに乗りませんようにと願うしかない。
「タンポポは、古文と体育、どっちがタイプなの?」
「私?どちらもタイプじゃない。」
「タンポポは変わってるよね。男子ともほとんど喋らないし」
当時の私は、自分がなぜ男子と話さないのかを誰にも知られたくないと思っていた。とっさに私はこう言った。
「私はね、T先生がいいなぁと思うんだ」
「うっそー!タンポポはT先生が好きなのー?」
T先生というのは、物理化学の教師だった。古文や体育と同じくらいの30代であったが断じてイケメンではない。
ボサボサの天然パーマでダサい眼鏡をかけて、いつでもダボッとした白衣を着ていた。授業は優しくて淡々とした話し方だった。
しいて言えば、良い声をしていた。
「どこがいいの?T先生が好きだなんて、たぶんこの学校でタンポポひとりだけだよ?」
どこがいいのだろう?私にも解らない。
だけど、漠然といいなあと思っていたのは本当だった。
取り敢えずT先生に気に入られたくて物理の勉強を頑張ってみたが、物理には全く興味が沸かなかった。
物理の授業は酷く退屈で睡魔との戦いであったが、たとえ誰かが寝ていたとしてもT先生は起こしたり怒ったりしなかった。
そういうおおらかさや穏やかさが、好きだったのかも知れない。
せめて私は頑張って起きていよう。授業はさっぱり解らないけれども…
変わり者のタンポポはT先生が好きだと、噂は波紋のように広まった。
クラスの男子までもが「何でTなんだろうな?」等と言っているのが聞こえた。
そのうち教室にT先生が入って来ると、皆が一斉に私の方を見るようになった。私は表情を変えないように努めていた。
授業中にT先生が私を指名しても、皆ワクワクとしてこちらを見た。
T先生がうっかりと苗字ではなく名前で呼んだ時などは、女子がキャーとはやし立てた。この教室に何が起きているのか、T先生にも薄々気が付いていたと思う。
でも私は、何も気にしなかった。
だって、私の「好き」はLOVEではなくて、単なるLIKEなのだから。
ある日の授業が終わる時、T先生が「今日、屋上で日食の観察をするから、興味がある人は屋上に来るように」と言って教室を出た。
私は、日食が見たいと思った。
クラスメイト達は全く関心がなさそうであったが、先生は他のクラスでも同じように言っただろうから、数人くらいは集まるのだろう。
でも屋上に上ってみたら、T先生ひとりしかいなかった。
屋上には普段は鍵がかけられていた。不良たちが授業をさぼって屋上でタバコを吸うという理由で施錠しているのだった。
私は初めて上った屋上からの眺めが嬉しい反面、T先生とふたりきりでここにいるのは気まずかった。
けれど、もし私が来なかったら、この学校の生徒は誰もT先生の呼びかけに応えなかった事になる。
誰も日食に無関心だなんて、全く何て学校だと思うだろう。
無理やりにでも誰かを誘えばよかったな…
私はT先生が用意していた黒いプレパラート越しに、部分日食を見た。
T先生は子供のように無邪気に天体ショーを喜び、それはあっという間だった。
私が教室に戻ると早速、クラスで一番美人の女子が「タンポポ、屋上でどうだったの?」と聞いてきた。
「日食、よく見えたよ。すぐに終わっちゃったけどね。興味があるならば来ればよかったのに」
「日食の話じゃないよ。屋上でT先生と、キスくらいしてきた?」
「まさか!するわけないじゃん」
「あはは。赤くなってる」
この日以来、私はこれまで以上に努めてT先生を意識しないようにした。T先生の方も、私を特別扱いする事なく淡々と授業をした。


学年が変わると物理の授業がなくなり、学校でT先生に会う機会も減った。私は少し寂しく思ったが、どうしても物理が好きになれなかったし、同級生達の反応に疲れてもいたので気楽になった。

そして制服が夏服に変わった頃、小さな事件は起きた。

お昼休み、生徒達が仲良しグループに分かれてお弁当を広げたちょうどその時に、窓から一羽のスズメが飛び込んで来た。それはまだ上手く飛べないような、小さなスズメであった。

「わぁっ!何だ何だ」
「嫌だぁ、気持ち悪い。誰か捕まえてよ」

教室中が昼食どころではなく、大騒ぎになった。
スズメはあちこちにぶつかりながら飛んだり落ちたりして、教室の隅っこでやっと静かになった。
うずくまっているスズメを私が両手で捕まえた。まだ羽も生え揃っていないようなスズメの子は、手の中でピィと鳴いた。

「どうしようか?これ」
「外に放す?」
「でも、まだヒナだよ?」

私達は途方に暮れた。

「先生に相談してみようか?」

私の頭の中にはT先生の顔が浮かんでいた。私はスズメを持ったまま、数人の女子と職員室に行った。
T先生は自分の席に座り、他の先生方と雑談中だった。
私はT先生にいきさつを話し、スズメをどうしたらいいか尋ねた。
すると
「あのさ、そんな事を僕に言われても困るんだけど」
と不機嫌そうに言うので、驚いてしまった。

「スズメなんか、どうして僕の所に持ってくるの?」
「それは……」

私は(T先生ならきっと何とかしてくれると思ったから)という言葉を飲み込んだまま、何も言えなくなってしまった。
確かにT先生は生物の教師でもなければ担任でもないのだから、T先生を頼ろうとしたのが間違いだった。
私達は、すごすごと職員室を出ていくしかなかった。

「スズメ、どうしよう?」

スズメはもう少し成長してから放した方が良い気がした。
でも、私の家には連れて帰れない。
これまで親に黙って買ったヒヨコや、道端で拾ってきた子猫がどんな目にあったかを考えれば、家でこの子スズメの面倒がみれるとは到底思えなかった。
他の子達も、連れて帰れないと言った。
それに、あと2時間も授業がある。スズメを教室の隅に置いておくわけにもいかない。
午後の授業が始まる直前、私はスズメを窓から放す事に決めた。
巣がどこにあるのか解らないが、教室まで飛んで来られたのだからきっと戻ってくれるだろう。

「飛べ!」
私は窓から身を乗り出してスズメを放つと、バタバタと羽ばたいた。

「飛んだ!」
「良かったぁ!」

と、教室中がホッとした次の瞬間、黒いカラスがスーッと窓の外を横切った。
そして、不格好に飛ぶスズメを空中でくわえると、どこかに飛んで行ってしまった。
思いもよらない悲劇に、私達は絶句した。
そして私は午後の授業の間中、机に突っ伏して泣くしかなかった。
スズメを放すんじゃなかった。
職員室なんかに行かなきゃ良かった。
これは、罰だ。
スズメを口実にして、T先生に会いに行った罰だ。
何もかも私のせいで、あのスズメは死んだのだ。
同級生達も、授業をしている教科の先生も私を慰めようとはしなかった。
誰に慰められたとしても、私は泣き止むことが出来なかったと思う。
T先生なら少し困ったような顔をしながらも、何かスズメを入れておく物を探してくれるだろう。
スズメが無事に巣だつまでの、育て方を調べてくれるかも知れない。
私は馬鹿だ。
どうしてそんな風に思ったのだろう?
先生は酷く不機嫌で、とても迷惑そうだった。
私はスズメが可哀想なのと、自分が惨めでたまらなかった。いつまでも泣き続けた。

スズメのショックから立ち直りつつある頃だった。
その日は休日で、市内の大通りでは夏祭りが行われていた。
夏祭りといっても、商店街が販促のために行うような小さなものだったが、普段よりも人通りの多い道を私はひとりで歩いていた。
そして向こうから親子連れが歩いて来て、すれ違い様に
「やぁ、タンポポ」
と、明るく声をかけられた。
白衣ではないからすぐに解らなかったが、T先生だった。
真ん中にいて両親と手を繋いでいるのは、3才位の子供だった。
その子の顔が愛らしくて、髪はくるくるの巻き毛で、まるで天使のようだ。
奥さんの顔は見れなかったが、子供は母親似できっと美人なのだろう。
絵に描いたような、幸せ家族。
T先生は立ち止まって照れ臭そうに笑いながら、何かを私に話しかけた。
でも私はペコリとお辞儀をして、そのまま早足で立ち去った。

T先生が結婚をしているのも、子供がいるのも以前から知っている。
なのに私は、胸に杭でも打たれたような痛みを感じていた。

何が「やぁ、タンポポ」だ……

あれ?

ずっと下を向いて歩いていたら、大粒の涙がボロッと落ちたので驚いた。
私は慌てて目を擦った。

変なの。
どうして?
どうして涙なんかこぼさなきゃいけないの……

あの子、本当に可愛いらしい子供だった。

3人がとても、幸せそうだった。


他の子達が熱をあげている教師達にも、それぞれ家庭を持っていた。
女子生徒がどんなに捨て身で臨んだとしても、家族の幸せには太刀打ち出来ないだろう。
もし彼女達が、どうにかして恋を成就させたとしても、それは他人の幸せを壊して得たものだ。
誰かに悲しい思いをさせて、幸せな恋など成り立つだろうか?
ほんのちょっとT先生を好きになっただけでこんなに辛いのだから、妻子持ちを本気で好きになるのは絶対にやめておこう。

まだ本当の恋も知らない高校生の私は、この日、そう心に刻んだのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?