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4.泣いてないだろ?

「この度はお悔やみ申し上げます」

黙って美術準備室に滑り込んだ私に声をかけた田中先生は、私の方をまっすぐに見ていた。
もともと大して広くもないのに、左右の壁いっぱいに置かれた細長い隙間を先生のキャンバスが占領しているから、余計に圧迫感がある。
初夏の蒸し暑さが、その窮屈さを後押ししていた。

「ちゃんと人の顔見て話ができるんですね」
「こら、こういうときに茶化すんじゃない」

きちんと立ってこちらを見ていたって、床屋に行かずに伸びすぎた髪や、襟のよれたワイシャツのだらしなさは直っていないから台無しだ。
清潔感のなささえ改善されれば雰囲気イケメンくらいにはなれそうなのに、さすがに苦笑いしか出てこない。

先生はいつも同じ絵を描いている。
いつも自分の絵に夢中で、私のことを見て話してくれることなんてほとんどない。
「心の中に昔から見えているひとつの景色がずっとあって、それを描くために絵を続けているんだ」と言っていた。
それを聞いたとき、痛烈に羨ましい、と思った。
私にはそういう才能の断片みたいな、素敵な予感のするものは何もない。

先生の絵は風景画のような抽象画のような、何を書いているのか一目で判別できる絵ではなくて、キャンバスを掛け替える度に新しい色が踊った。
私は未だにこれが、何を描こうとしているものなのかちっともわからない。
わからないけど、先生の目が時々とても痛ましい、ということだけは見ていてわかる。どうしてそんな顔をしているのか知りたくてたまらなくて、時折筆を持つ背中にそっと触れてみたい激しい衝動に駆られる。

「ライン、ありがとうございました」

担任でも何でもない顧問の先生が祖母の訃報を知っているのは、部活を休んだ理由をわざわざ尋ねてくれたからだった。

「いや……」

先生が口ごもった、この沈黙が愛しくてなんだか妙に苦しくて、私はそれを意図的に破壊する。

「先生っていいセンセーですよね。そういえば、真嶋さんはどうしてるって言ってました?」

同じ美術部の、入部以来一度も会っていない不登校の彼女は、腰まであるややうねったロングヘアをおぼろげに思い出すことしかもうできない。

「知らないよ?」
「え?」
「心配には思うけどそこまで関わってられないよ、僕は担任でも何でもないしね」

どうしてこの人は、壊したはずの沈黙を平気で何度でも構築して、それでちっとも平気な顔をしていられるんだろう。
私だけがこんなに緊張してみっともなく子どもで、自分がバカみたいに思えてくる。

「泣いてないだろ?」
「え?」
「お祖母さんのこと。三谷は自分の気持ちを出すの、あまり上手くないから……」

絵はあんなに感性豊かなのにな、と笑う先生にくるりと背中を向けた。
間一髪、涙はそこで零れた。近づいてきた先生が後ろから頭にポン、と手を置く。
いつも変温動物みたいに冷たいのに、頭に乗ると不思議と温かい。
お葬式でも出なかった涙が、不思議なくらい簡単にポロポロと漏れてくる。
声を押し殺して泣く私の後ろで、手を放した先生がキャンバスに戻っていくのが音でわかった。
それがここにいていい、という意味だとわかるようになったのはわりと最近で、先生は他の生徒や先生がいる空間ではけして筆を握らない。
涙が枯れるまで、放課後中私はふたりの秘密基地みたいなこの部屋で泣き続けた。

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死ぬほど励みになります、ありがとうございます❤️
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丹宗あや【小説】

JK時代から自作タグ打ちHPで小説を公開、2020年までに本が出したいアラサーです。 予備校お仕事ラブコメ『かがゼミナールの学習記録』 https://estar.jp/novels/25490045 長編小説『無明情夜』 http://amzn.to/2BXRzAS

ありふれた聖女のレシピ

祖母から死ぬ前に零れ落ちた秘密の欠片は、ただの中学生だった私にはこのうえなく魅惑的で。

コメント3件

公開当初4と5の順序が逆になっておりました(1/11修正済)。大変失礼いたしました。
何気ない流れで見通す先生の言葉( ; ; )ずっと表に出さなかった感情があふれ出た瞬間( ; ; )心の奥に入られた感動と、先生へのドキドキが混ざっているような気がして胸が高鳴ります。
いマこさん、ありがとうございます(^^)
ドキドキしてくださったのにあんなラストで申し訳ありませんorz
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